ジム・クレイス 著
渡辺佐智江 訳

新たに書きかえられたイエスの生涯。炎熱と酷寒の荒野に無垢の情熱の行方を追い、イエスと断食者たちの四十日を描いて、生の充実と救済を問う。混沌の現代に静かな福音を告げ、深い感動を呼ぶ奇蹟の名作。現代英国文学屈指の作家ジム・クレイスが、宗教という現代的主題に真っ向から挑んだ代表作で、1997年度ウィットブレッド文学賞、E.M.フォースター賞を受賞、ブッカー賞最終候補作

 

イエス・キリストにも膀胱はある。
膀胱。それは、どこへ行くにも我々についてくる。イエスにさえも。ガリラヤのあたたかな春の宵に家族とくつろぐひとときにも、荒れ野に聳える切り立った断崖の洞穴でひとり寒さに震えるときにも、イエスの膀胱はそこにある。そしてそれが正常に機能しているのは、とてもありがたいことだろう。
しかしクレイスのイエスは、その大切な膀胱から出る尿にも、潔白な尿と罪深い尿があると考える青年である。出したらすっきりして忘れるだけの、健康の証である排泄物を、「悪魔の小便」と呪う。過剰な小水は、邪悪な霊や不浄な考えに取り憑かれている証拠だとする昔の人の考え方を、進んで受け入れる。このことに象徴されるように、日頃からイエスは精神に比して肉体を軽視し、さらには、肉体に対する精神の最終的な勝利を確信している。神も肉体の問題には関心を寄せないと判断する。そしてこのことが、イエスの最期を運命づける。
観念と生理。彼方を志向する者が己の生理によって現実に敗北する図は、いかにもクレイスらしい展開だ。クレイスの筆は冷徹であり、自然と自然存在としての人間を描いて徹底し、揺らぐことがない。
風景の描き方も精緻だ。地表の微細な起伏や肌理を描き込み、位置、方角、高度差をおろそかにしない地形描写。視点は、カメラアイのように虫瞰と鳥瞰を自在に往き来し、詩情を漂わせもする。風景描写がときにそのまま心理描写に転じるのは、この作家のナラティヴの美点の一つかもしれない。それも、人間を自然の一部として捕らえる彼の視線が一貫しているからではないだろうか。
クレイスの物語世界に淡々と並べられた白っぽい乾いた小石が、澄んだ水にしっとりと濡れて、美しい模様を顕してくる瞬間がある。すべてを見通したような老成した土壌にはしかし、いたずらで反骨な棘も散らばっている。それでいてその空間には暖かさがあり、強靱で、とても風通しがいい。わたしは、クレイスの描く世界が好きだ。(訳者あとがき、より)

著者
Jim Crace(ジム・クレイス)
1946年3月、英国ハートフォードシャーに生れる。ロンドン北部エンフィールドで育つ。大学卒業後、1968、69年海外協力隊に参加。スーダンの教育テレビで番組制作・出演。ボツワナで教師をする。この時期、非核武装運動および植民地解放運動に参加。1970年帰国し、BBSの教育番組で脚本執筆。1974年、初の短篇“Annie California Plates”を『ニュー・レビュー』に発表。続く10年間、短篇小説とラジオドラマの脚本を発表。1976年から87年にかけて、フリーランスのジャーナリストとして、『サンデータイムズ』、『サンデーテレグラフ』他の新聞に寄稿。
1986年、長編第一作Continentを発表。その成功を機に、本格的な作家活動に入る。バーミンガム在住。

訳者
渡辺佐智江(わたなべ・さちえ)
翻訳家。
主な訳書に、ベスター『ゴーレム100』(未来の文学:国書刊行会)、フラナガン『グールド魚類画帖』(白水社、2005)、『姿なきテロリスト』(白水社、2009)、クレイス『隔離小屋』(白水社、2009)、『死んでいる』(白水社、2001年)、『食料棚』(白水社、2002年)、セルフ『コック&ブル』(白水社、1995年)、ウェルシュ『フィルス』(アーティストハウス、1999年)、アッカー『血みどろ臓物ハイスクール』(白水社、1992年)、『ドン・キホーテ』(白水社、1994年)、『わが母悪魔学』(白水社、1996年)、バロウズ『おぼえていないときもある』(ペヨトル工房、1993年)、クーパー『フリスク』(ペヨトル工房、1993年)など、多数。