アティーク・ラヒーミー 著
関口涼子 訳

ソ連軍の進攻を背景に、村と家族を奪われた父の苦悩をとおして、破壊と混乱のなかに崩れゆくアフガン社会を浮き彫りにする、映像感覚あふれる現代小説。カーブル生まれの小説家・映像作家、ラヒーミーの第一作である本書は、アフガン社会の生の内面とイスラームの倫理を描き出して、大きな話題を呼んだ。20か国で翻訳。

 

『灰と土』はまた、アフガニスタン社会、ひいてはイスラーム世界における重要な概念である、「名誉」に関する優れた問題提起にもなっています。『岩波イスラーム辞典』によれば、「個人や一族の名誉は、自らが他に従属しない自立的な存在であり、それを保証する武力、発言力をもち、寛大さ、勇気、知恵などの特性を有することを示すことで保たれる。不名誉とはこれらの特質を失う、もしくは減じた状態であり、とりわけ自分の所有物(土地など)を失ったり、仲間の生命を奪われたり、身内の女性の貞操が疑われたりした場合には一層深刻になる。このような不名誉の状態から脱する、すなわち恥をすすぐためには、なくした財を取り返し、仲間の敵を討ち(血の復讐)、不始末をした女性を自ら処断したりしなければならない」(大塚和夫、2002年)。この定義は本作品の主人公にもまさにあてはまるでしょう。実際、主人公のダスタギールにとって、心に掛かることは、砲撃の時に息子の嫁が裸で共同浴場から逃げ出してきたこと、しかもそれを自ら目にしてしまったこと、また、ソヴィエト軍の襲撃により家族が殺されてしまったことであって、これらの不名誉な出来事を、自分の息子にどんなふうに伝えたらいいのか、という点に彼の心配は集中しています。主人公にとって、自分の息子の嫁が裸で外を走っていた、という不名誉に比べれば、そして、息子が、亡くなった家族にふさわしい威厳を保った弔いをどうおこなうのか、という問題に比べれば、自分の妻の死や家族の死などは、不幸の中でもずっと受け入れやすい性質のものとして描かれています。
また、先ほどの定義に従うなら、家族に起こったこの事態に際して「名誉」を取り戻すためには、息子のモラードは復讐をしなければなりません。彼がすでに、自分の妻に言い寄った隣人に怪我を負わせた、というくだりから、モラードが名誉を重んじ、復讐を果たすことのできる人物であることが暗示されます。しかし、ソヴィエト軍や政府に対して、こうした復讐の論理が通用するとは思えません。そもそも、個人的な復讐であっても、勇気ある男にふさわしく隣人に復讐を遂行したモラードは、共同体から実刑判決を受けているのです。伝統的な価値観が強いる行動と、社会の法との間にはすでにずれが存在します。父のダスタギールにしても、家族の不幸に際して、息子が男らしく振る舞ってくれること、すなわち復讐を誓うことを願う一方、心の底では、そのことによって息子がさらに惨劇の犠牲になってしまうことを恐れる気持ちも持っています。この作品の特徴は、伝統的な家族観をなぞる、この主人公の思考にあたかも追随しているように物語が進んでいきながら、作品の最後になって、何度かどんでん返しがあるところでしょう。伝統的な価値を巡る葛藤の結果は宙づりにされていますが、そのことが、この問題の持つ、一筋縄ではいかない側面を明らかにしているようです。(訳者あとがき、より)

著者
Atiq Rahimi(アティーク・ラヒーミー)
1962年アフガニスタン、カブールに生まれる。1984年フランス、パリに移住。ルーアン大学、ソルボンヌ大学の映像学科を卒業し、映像作家としてテレビ局のドキュメンタリー作品を制作。1999年フランスで小説第一作『灰と土』(ダリー語。2000年にフランス語訳)を発表。欧米を中心に話題を呼んだ。小説第三作『悲しみを聴く石』でゴンクール賞受賞。

訳者
関口涼子(せきぐち・りょうこ)
1970年、東京生まれ。詩人。日本語とフランス語で著作活動を行なうと同時に、吉増剛造をはじめとして、現代詩人・作家のフランス語訳に努めている。

[詩集] 『カシオペア・ペカ』(書肆山田、1993年)、『(Com)position』(書肆山田、1996年)、『言語地図』(ギャラリー椿、1997年)、『発光性Diapositive』(書肆山田、2000年)、『二つの市場、ふたたび』(書肆山田、2001年)、Calque,P.O.L,Paris,2001、Cassiopee Peca,Les Comptoirs de la Nouvelle B.S./cipM

[訳書] アティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』(白水社)、吉増剛造The Other Voice(フランス語訳、カエデーレ社、2002年)