エメ・セゼール、W・シェイクスピア、ロブ・ニクソン、アーニャ・ルーンバ 著
本橋哲也編訳、砂野幸稔、小沢自然、高森暁子 訳

ルナンをはじめ、さまざまな改作が行われたシェイクスピアの「テンペスト」。本書は、改作中最も重要と目されるセゼール「テンペスト」の本邦初訳とシェイクスピア「テンペスト」の新訳、さらに「さまざまなテンペスト」の軌跡を辿るニクソンの批評とフェミニズム的植民地主義批判を代表するルーンバの批評を併せて収録。黒人の抵抗を激しく主張するセゼールの作品をはじめ、本書収録作品は、グローバル化した暴力と地政的な格差をあらわにする現代のポストコロニアル状況を参照する際の必読文献である。

 

本書はウィリアム・シェイクスピアという、イギリスのロンドンで一六世紀末から一七世紀初頭にかけて活躍した劇団座付き作者の最後期の作品で、一六一一年ごろに書かれた『ザ・テンペスト』の現代における読みの可能性を考えるために編まれている。
収録したのは、二○世紀における『ザ・テンペスト』改作の代表作である、カリブ海のマルティニク島出身の詩人エメ・セゼールが一九六九年に発表した『もうひとつのテンペスト』の日本語初訳。またセゼールのような作品が生み出されてきた時代背景を知り、そのうえで私たち自身の批評的感度を高めるために「さまざまなテンペスト」の現代における軌跡を考えるときの指標となる二つの批評論文の日本語訳——ひとつは一九五○年代から盛んとなったカリブ海地域とアフリカにおける「さまざまなテンペスト」を考察したロブ・ニクソンの論文(一九八七年)、もうひとつは『ザ・テンペスト』に対するフェミニズム的植民地主義批判の現代的文脈における代表的批評であるアーニャ・ルーンバの論文(一九八九年)。そして最後にシェイクスピアの『ザ・テンペスト』の新しい日本語訳である。
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『ザ・テンペスト』が歴史のなかでさまざまに改変されてきた旅路を現在の私たちの視点からたどることは、シェイクスピアが創作した特権的なテクストが、いかに重層的で時代を通じてさまざまな改作や、幅広い批評を許容してきたかという百花繚乱状態を賛美するのではなく、それが正典として文学研究や教育の中核に位置づけられる過程を問い直し、再文脈化、再分節化という視点から「原作」と「改作や批評」との関係を探ることである。一七世紀から現代に至るさまざまな「ア・テンペスト」を考察することは、このさまざまな解釈を許すテクストの、私たち自身にとっての可能性を考えるために必要不可欠な作業であると言えよう。
さまざまな改作におけるキャリバン表象に焦点をあわせると、多様な「ア・テンペスト」の旅路が明らかになってくる。シェイクスピアのテクストのなかで植民地主義の一方的な支配に抗う異文化混交のメタファーとしてかろうじて機能していたキャリバンは、一七世紀以降、再表象再解釈の試みのなかで時どきのイデオロギー状況にあわせて多様な実体的価値を付されていった。ほとんどのシェイクスピア作品が時代の要請に合うように「改良」されて上演されたように、『ザ・テンペスト』からも、資本主義的・家父長制度的・性差別的植民地主義の実態を喚起する部分は削除されていき、そのことはキャリバン表象にも大きな影響を及ぼした。今のような形で、すなわちシェイクスピアの原作どおりに再び上演されるようになったのは、二○世紀になってからのことだが、それには植民地主義に抵抗する主体としてのキャリバンの復権も含まれていたのである。一七世紀後半から一八世紀にかけての王政復古期におけるキャリバンのイメージは、当時のブルジョワ中心主義を反映して人間離れしたおぞましい怪物として表象された一方で、喜劇的で、社会の支配層にとって危険を感じさせるものではなかった。それは一八世紀後半から一九世紀にかけてのヨーロッパ市民革命の時代を背景として、ロマンティシズムに包まれた「高貴な野蛮人」像へと包摂される。一九世紀にはダーウィニズムの影響による発展段階説がキャリバン解釈にも及び、彼は進化説の「失われた環」として科学的装いとともに登場した。それが二○世紀前半になるとラテンアメリカの国家主義を反映し、キャリバンは搾取される側から見た圧制者のイメージ、特にアメリカ合州国の物質主義的悪徳の象徴へと転化する。そしてアジアやアフリカで植民地が相次いで独立した二○世紀の後半になると、キャリバンは、欧米の圧力に抵抗する全ての虐げられた人々の代名詞へと転換し、南北アメリカ大陸の先住民と同一視されるようにさえなったのである。つまりこの五世紀ほどの歴史は、キャリバンを解釈したり表象したりする主体の自己認識の変化であり、それが他者に脅威を覚えるヨーロッパ人から、他者を蹂躙し支配するヨーロッパ人へと、そしてさらに他者と自己とをある程度同一視せざるを得ない非ヨーロッパ人へと移行していった、とも整理できるだろう。(編者解説「『ザ・テンペスト』から「ア・テンペスト」へ」より)


目次
もうひとつのテンペスト─シェイクスピア『テンペスト』に基づく黒人演劇のための翻案 エメ・セゼール/砂野幸稔訳
カリブ海世界およびアフリカにおける『テンペスト』の領有 ロブ・ニクソン/小沢自然訳
本を奪い取る アーニャ・ルーンバ/高森暁子訳
テンペスト ウィリアム・シェイクスピア/本橋哲也訳
『もうひとつのテンペスト』 解題 砂野幸稔
『ザ・テンペスト』から「ア・テンペスト」へ  編者解説 本橋哲也
注および参照文献

 

著者
エメ・セゼール Aime Cesaire
1913年、マルティニークで生まれる。1931年渡仏。〈ネグリチュード〉思想の中心人物として、以降一貫して黒人の黒人意識を象徴する名、黒人ラディカリズムのシンボルとなる。1968年、アメリカの黒人運動に触発され、戯曲Une Tempete(本書「もうひとつのテンペスト」)を完成、20世紀におけるシェイクスピア「テンペスト」改作の代表作となった。一方、20世紀後半にかけてはマルティニーク選出のフランス国民議会議員(~1993年)、フォール・ド・フランス市長(~2001年)を務め、政治家としても指導力を発揮する。2008年4月17日、逝去。
著書に、『帰郷ノート/植民地主義論』砂野幸稔訳、平凡社ライブラリー)、詩集『太陽、切られた首』、評論『トゥサン・ルヴェルチュール』、戯曲『クリストフ王の悲劇』、『コンゴの一季節』など。

ロブ・ニクソン Rob Nixon
ウィスコンシン大学マディソン校英文学部
主な著書:Dreambirds: The Strange History of the Ostrich in Fashion, Food and Fortune(2000)、Homelands, Harlem and Hollywood: South African Culture and World Beyond(1994)、London Calling: V. S. Naipaul, Postcolonial Mandarin (1992)

アーニャ・ルーンバ Ania Loomba
インドで生まれる。デリー大学、スタンフォード大学、ジャワハラール・ネルー大学、タルサ大学、イリノイ大学で教鞭をとった後、現在ペンシルバニア大学教授。専門は初期近代イギリス文学およびポストコロニアル文学。
主な著書:Gender, race, Renaissance drama(1989、第6章Seizing the book「本を奪い取る」を本書に収録)、Colonialism / Postcolonialism(1998)(『ポストコロニアル理論入門』吉原ゆかり訳、松柏社、2001年)、Post-Colonial Shakespeares(1998、共編著)、Shakespeare, Race and Colonialism (2002)、Postcolonial Studies and Beyond(2005、共編著)

ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare
1564年生まれ。1587年頃ロンドンに赴き演劇界に身を投じる、生涯に37篇の戯曲を残した。1592年第一作「ヘンリー六世」上演。1599年地球座が開場し以降座付役者として活躍。最晩年にThe Tempest(「テンペスト」)を最後の単独執筆作品として完成、1611年に初演された。1616年没。

訳者
砂野幸稔(すなの・ゆきとし)
1954年生まれ。熊本県立大学教員。主な著書:『アフリカ世界』『アフリカ史を学ぶ人のために』(以上、共著、世界思想社)主な訳書:エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』(平凡社ライブラリー)、ルイ=ジャン カルヴェ『言語学と植民地主義 ―― ことば喰い小論』(三元社)、モンゴ・ベティ『ボンバの哀れなキリスト』(現代企画室)

本橋哲也(もとはし・てつや)
1955年生まれ。東京経済大学教員。主な著書:『ポストコロニアリズム』(岩波新書)、『本当はこわいシェイクスピア ――“性”と“植民地”の渦中へ』(講談社)
主な訳書:A. T. ヴォーン、V. M. ヴォーン『キャリバンの文化史』(青土社)、G. C. スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』(共訳、月曜社)、ホミ・K. バーバ『文化の場所 ―― ポストコロニアリズムの位相』P. ヒューム『征服の修辞学―ヨーロッパとカリブ海先住民、1492―1797年』(以上、共訳、法政大学出版局)他

小沢自然(おざわ・しぜん)
1971年生まれ。千葉大学教員。
訳書:V. S. ナイポール『ミゲル・ストリート』(共訳、岩波書店)

高森暁子(たかもり・あきこ)
筑紫女学園大学教員。専門は初期近代イギリス文学。
主な論文:「『二人の血縁の貴公子』―― 結婚とその悲喜劇的結末」(『九州英文学研究』第19号、2002年)、「『テンペスト』における記憶と語り」(『筑紫女学園大学・筑紫女学園短期大学部紀要』第1号、2006年)