第1回
スキャットラップ・ジャズコーニュ
オクシタニとベルナール・リュバットの闘い
ある日、行きつけのヴェトナム・ラーメン屋に立ち寄った後、通りから少し引っ込んだ本屋の前で足が止まった。本屋は、パリの中華街にあって、この界隈では珍しく美術書などをショーウィンドーに置いている。
いつもなら遠目にやりすごすのだが、その日は、すっと足が止まった。しばらく前に見た時はニコラ・ドゥ・スタールの画集があった位置 ― もちろん、ショーウィンドーの真ん中だ
― に、黒く小さな本が立てかけてある。『音楽は商品ではない』ベルナール・リュバット著[注1]。
一瞬ためらった後、店の扉を開いた。初めてだった。
“音楽は商品ではない”、と見聞きして、今日どれだけ多くの人が同調するだろうか? 幸い、フランスでは、まだそこそこの人々がこのような宣言を真剣に受け止めるらしい。幸いにも。
そういえば、あれは夏休み中だったか、共産党の機関紙「ユマニテ」にリュバットが連載した小さな記事を、半ば義務感に駆られてコピーしておいたはず……あまりにストレートな物言いに、いささか気が引けながらではあった。
結局、決して広くはない店内をたっぷり時間をかけて探してくれた本屋のおばさんは、ショーウィンドーに飾ってあったのが「最後の一冊」だ、と誇らしげに言う。「この本は大きな成功を得ました」。“十九世紀の首都パリ”らしい逸話、とまずは受け取って頂きたい。
“スキャットラップ・ジャズコーニュ”
94年のデビュー作に魅了されてから、僕はずっとこの音楽家を追い続けてきた。と言うと大げさかもしれない。リュバット率いる音楽集団「ラ・コンパニー・リュバット・デ・ガスコーニャ」のアルバムは、グループの名前を冠したその一枚のみ[注2]。後は、歌手のアンドレ・マンヴィエルのリーダー作(99年)[注3]、そしてリュバットのソロ演奏が一枚(00年)[注4]。この八年間で都合三作を数えるだけである。
その間、ある雑誌の消息欄で「ラ・コンパニー・リュバット」を簡単に紹介したことはあった。しかし、フランスに住むようになってから、リュバットが主催する夏の音楽祭「ユゼスト・ミュジカル」に早速赴いた、というわけではない。パリ近辺に住む非運転者にとって、一番交通費がかかる国内旅行がこの地方、つまりボルドーからバスク“地方”に至る、かつてロラン・バルトが称揚した“フランス南西部”への旅なのだ。この隔たりを直ちに埋めないこと。そうではなく、思い描き続けること。その上で、地方分権化、少数言語擁護運動といった汎ヨーロッパ的な流れの中で展開されるリュバットの音楽活動を、固有と普遍がしなやかに交錯する運動体、とまずは定義してみよう。
この運動体は、これまで、めまぐるしいばかりの多面性を発揮してきた。まず、パリ国立高等音楽院で打楽器大賞を獲得しておきながら、一般的には、明るいハーモニー感覚と乾いたタッチが印象的な“フリー”ジャズ・ピアニストとして知られる。詩的な語呂合わせの才能にも恵まれ、自ら創出した“スキャットラップ”の歯切れの良さは抜群だ。エリック・サティからウリポ派の作家に至る、ある種のフランス文学の伝統とも無関係ではないだろう。そして、南仏という地縁に気付けばさして驚くべきことでもないが、「農民同盟」代表ジョゼ・ボヴェ[注5]と交流を持ち、ミヨーの集会ではピエール・ブルディユと対話した反グローバル化運動家でもある。そんな多面性を支える動機としての、「フーガの技法」にも似たカウンター戦術に注目しつつ、現在のフランスで最も生き生きとした一人の芸術家の横顔を描いてみたい。
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