揺れ動く音楽地図 フランスから 昼間賢
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第3回

「ジャズ・ヌーヴォー」の二つの形
パリのスティーヴ・コールマン/フレデリック・ガリアーノ流アフリカを聴く

 
 フランスの九月は日本の四月。「ラントレ」といって、様々な活動が始まる。しかし季節はもう秋。日本的「新年度」の雰囲気ではない。むしろ、長い冬の到来に備えて幾つかの課題を早めに軌道に乗せよう、そんなせわしなさが漂う。

 さて、「ラントレ」後の初音楽会は「スティーヴ・コールマン&メトリックスがオパス・アコベンと出会う」に、七月中から決めて予約しておいたのだった。「科学都市」ラ・ヴィレットの「ジャズ・ア・ラ・ヴィレット」週間のコンサートだ。予約を入れて大正解。係員が「当日売りはありません」と叫んでいるのに、キャンセル待ちの列は長くなる一方だった。「ラントレ」後の最初の土曜日だったから、ファンなのだが予約する時間がなかった人たち、ファンではないのだが勢いで来てしまった連中が多かろうと予測できていた。もう五度目だからな……と独り苦笑する。


フランスで受けるアメリカ黒人芸術

 フランスでのスティーヴ・コールマン評価の高さは、おそらく世界一だろう。90年代前半に「バンリユ・ブルー」音楽祭に何回か出演していて、95年には、やはりラ・ヴィレットにある「オット・ブラス」(その後「トラベンド」と改称)で素晴しい演奏を披露、その様子はCDで聴くことができる。南仏の町モンプリエで録音された近作『Resistance is futile』も、フランスを代表するジャズレーベル「ラベル・ブルー」から出ている [注1] 。また今年の六月にはパリの「ジャズ会館」でコールマンに関する学術的な講演会が開かれた。そのアルトサックス奏者を迎える会場は、その名もずばり「チャーリー・パーカー」ホール。七、八百人はいた超満員の聴衆を受けて、これ以上のお膳立てもなかった、が。

 本当をいえば、個人的には期待値ほとんどゼロで臨んだコンサートだった。ここのところずっと、いや「オット・ブラス」のライヴ盤以来、どの作品にも裏切られる思いがしていたからだ。一見様々な交流を試みてはいたが、実際には、何らかの発展があっていいはずの出会いをおろそかにし、ますます自己中心的に吹きまくるばかり。そんなコールマンに辟易していたのは、僕だけではなかったはずだ。ところが、ところが。あえていえば、現代黒人音楽の最も高度な表現に立ち合うことができたのだった。

 思えば十年以上も前、完成したばかりの東京都庁の中庭で、デイヴ・ホランドのグループの一員として来日したスティーヴ・コールマンを聴いたことがあった。複雑なリズム感に基づいたアドリブは、なぜか一部参加したジョージ川口のドラムと悲惨なまでに合わなかった。いまや、あのスイングなきグルーヴもすっかり定着したといってよいだろう。黒人の話し方そのままの、筋肉質なフレーズ。それでいて理路整然と話し(コリン・パウエル国務長官のように)、決して声を荒げることはない吹き方。あくまでもそのフレーズに基づいた、それが一番映えるような音楽形態を、コールマンはようやく見つけつつあるのだと思う。

 その証拠に、ゲスト参加した二人のラッパーとの共演がこれまでになく成功していた。もちろん、複雑な変拍子に見事に乗りながら、ラップだけでなく、時には朗々と歌い、叫び、トークショー風のやりとりなども交えつつ舞台を盛り上げたオパス・アコベンの貢献が大きかったのだが、その二人が、ワン&オンリーな――この場合、必ずしも褒め言葉ではない――コールマンの音楽を完璧に理解した上で自分たちの才能を発揮していた様子に、一つの音楽が開かれ、広がっていく瞬間の興奮を存分に味わうことができた、そこが素晴しかったのだ。いつもなら延々と吹きまくるコールマンは、自分のソロは簡潔にとどめ、音の流れが変るタイミングをクールなメロディーで指示していた。その時はここぞとばかりに白く切ない音色で介入するので、今日のジャズを代表するサックス奏者の魅力も十分伝わる。しまいには、コールマンは楽器を置き、ラッパーの歌に加わり、メンバー全員が順々に、つまりトランペット、ギター、ベース、ドラムの順でゴスペル風の合唱となった。感動的ながらも実にリラックスした演出で、決してやさしくはない音楽に長時間つきあった疲れは残らなかった。間違いない、スティーヴはマイルスというハードルを通過したようだ。超えたのではなく、しなやかにくぐり抜けたのだ。


ちぐはぐに開かれる共同体

 実は、スティーヴ・コールマンのグループにはもう一人のメンバーが、ミュージシャンではなくダンサーがいて、特にフューチャーされることもなく脇で自由に踊っていたのだった。

 先にも記したように、コールマンの曲は全て変拍子である。乗りにくいことこの上ない。今回はどの曲も二十分以上の大曲で、演奏中は勢いリズムも変化し、テンポの緩急もつく。そんな中で、ノンシャランに踊るダンサーの存在は、最初のうちは単なる飾りにしか見えなかった。しかし、時間が経つにつれて独特のリズムは捉えやすくなり、全体の流れの中で、聴衆は思い思いのタイミングで音楽に乗り、勝手に楽しむようになった。そういった変化に、ダンサーの気ままな動きが一役かっていたのだろう。一度で消化するには特殊すぎる曲調を、そのまま伝えるのではなく、個人個人の解釈に委ねる配慮だったのかもしれない。

 スティーヴ・コールマンの音楽は、これまでは、極めて閉鎖的といわざるをえなかった。自分流のグルーヴに固執し、それがわかる有能なミュージシャンだけを集めて、「M-Base」という難解な理論に基づいた音楽共同体を形成していた。キューバの伝統音楽家たちと共作を発表するなど、コールマンはつねに共同体的なものを指向してきたように思う。ところが、その結果といえば、共同体としての成果にコールマンの独自性が対立するように見える、そんな作品が多かった。それが今回のコンサートでは、つきつめてしまえばたった一人の体が、二人の仲間に認知されることによってまず開かれ、求道的な音楽とは対照的な、怪しげなトリックスターによって不特定多数にも共有されうるものとなっていた。その中で、共同体の司祭として君臨するはずのコンサートマスターは、そんなそぶりはほとんど見せず、かといって自分を殺すこともなく自然にその一員であった。コールマンの音楽に「ジャズ」を感じたのは、コールマン的なものの中に他者の余地を確認できたのは、本当に久し振りのことだ。高度な技術を持つ自立した演奏者たちが、芸術という独善の罠に陥る寸前で、鮮やかで和やかなインタープレイを聞かせる。アメリカ黒人音楽の成熟した姿があった。