第4回
静寂のケルト連邦へ
「ブルターニュの声」ヤン=ファンシュ・ケメネールと共に
どこで読んだかもう忘れてしまったし、そもそも本当に読んだかどうか定かではないのだが、次のような言葉に接して感銘を受けた記憶がある。「旅とは不在にするためのものであって、行き先を告げ回ってするのでは意味がない」 行き先を告げるどころか、船でしか行かれないような大西洋岸の小島でさえ着信のメロディーが鳴り響く今日、まったく誰にも知らせずに旅立つことは可能だろうか。その気になればできなくはないとしても、本当にそうするにはちょっとした勇気が必要だろう。車中の人となって半時間もたてば、出発の直前まで様々に苦しんでいた諸々の束縛には大した意味もないとわかってしまうからだ。
ブルターニュ地方北部の海辺にサン・リュネールという名の土地があることを知った時、決意は固まった。太陽王の国に月の聖人がいたなんて。長い冬が終わりかけていたある日、ヤン=ファンシュ・ケメネールをどうしても生で聴きたくなって、年間のコンサートの予定と自分の都合をすりあわせた結果、五月下旬にルドンで行われるコンサート以外は無理という結論が出ていたのだった。ルドン? レンヌとナントの間だったっけ…程度の記憶しかなく、ガイドで調べてみても、およそ魅力的な町には思われなかった。そのためだけに半日欠勤するのはやはり気が引ける。そんな風に逡巡していたら、サン・リュネールに出会った。そういえば、引っ越す前のアパートでは月がよく見えたものだ。晴れ渡った日の夜など、白銀の円盤は煌々と輝き、満月であれば部屋の明りを消してもよかった。それが、新しい部屋からは全然見えない。そうだ、月を見にいこう。
ブルターニュではエンヤ以上
ヨーロッパ大陸に残ったケルト人の地域、ブルターニュ。日本語でいう“イギリス”を、フランス語では普通「アングルテール」と呼ぶが、ややかしこまって「グランド・ブルターニュ」ということもある。つまり、フランスから見ると“イギリス”(イングランド+ウェールズ+スコットランド+アイルランドの一部)はブルターニュに続く土地柄であり、少なくとも言葉の上では、フランスとブルターニュの境界のほうがずっとはっきりしている。
そのブルターニュの伝統音楽は、だからケルト音楽の一種である。我が国でケルト音楽といえば、ほとんどがアイルランド音楽のことで、熱心な聞き手がたまにスコットランド系を紹介する、そんな感じではないだろうか。やはり、エンヤの魅力は否定できない。
フランスの首都パリでも、ケルト音楽はわりと人気があるように見受けられる。レコード屋では、ブルターニュ音楽とは別にコーナーが設けられ、同じくらいかそれ以上の数が置いてある。ロックのミュージシャンの中にはケルト音楽を聴く人が多いというし、流行に左右されない層があるのだろう。しかし、演奏家が海の向こうから直接やって来るという話は聞いたことがない。パリでは、モンパルナスを中心とするかなり大きなブルトン人コミュニティがあるので、同郷のミュージシャンを優遇するのだろう。中でも、ヤン=ファンシュ・ケメネール
[注1] 。ブルターニュでは知らぬ者がない名歌手である。ケメネールがいなかったら、ブルターニュの伝統音楽は「テーマパーク化」してしまったかもしれず、現代のブルターニュ文化を背負って立つ音楽家といっても過言ではないのだ。
そんなケメネールのプロフィールを、公式サイトにしたがってざっと描いてみよう [注2]
。ブルターニュ北部の農村サント・トレフィーヌに生まれ、すぐに伝統歌謡に目覚める。今年でちょうど活動三十周年となり、その間に二十枚近いリーダー作を発表しているが、歌手だけでなく、古謡の収録(コレクタージュ)を専門に行う民俗学者でもあり、ブルターニュ伝統音楽の聖典『バルザース・ブレイス』の復刊の際には監修者として序文を寄せている
[注3] 。日本では、芸術面でも商業的にも大成功を収めたプロジェクト『ケルトの遺産』(1994年)への参加者として知られているようだ。最近では、ロリアンで毎年夏に催される「アンテルセルティック」芸術祭が昨年三十周年を迎えたが、その大トリを務めたのがケメネールだった。チェロ奏者とのデュオという渋い編成で、ルドンでは、それに語り手を加えた音楽劇「大地の粒」(Le
Grain de la Terre)を体験できるはずである。
出会いはいつも郊外で
初めてケメネールの歌に接したのは、まったくの偶然だった。話は三年ほど前にさかのぼる。リリ・ボニッシュの回で紹介した「バンリユ・ブルー」音楽祭がパリ北郊の春の風物詩なら、パリ南郊には、それより十年近く遅れて始まった「ソン・ディヴェール」がある。文字通りには“冬の音々”という意味だが、d'hiver(冬の)にはもちろん
divers(様々な)を読み込むべきだろう。冬の音、様々な音。「バンリユ・ブルー」にも匹敵する素晴しいエスプリだ。さて、その音楽祭の一会場ショワジー=ル=ロワ
[注4] に、こちらはベルナール・リュバットの回で少し触れた「レ・ファビュルー・トロバドール」を目当てに出かけたのだが、その「対バン」の、バリトンサックス奏者フランソワ・コルヌルーのトリオに、しかもゲストとして参加するのがヤン=ファンシュ・ケメネールだった。
ほとんど何の予備知識もなかったというわけだ。
「ママン、今日はショワジーの人の他にもたくさん来てるね」、と隣で女の子がささやいたかと思うと、金色のバリトンサックスが、少女のささやきよりも小さく鳴った。そして沈黙が続く。緊張感たっぷりの出だしである。フランソワ・コルヌルーといえば、アメリカ流の巧みなミュージシャンが多く活躍する昨今のフランス・ジャズ界で、フランスのフリージャズを受け継ぐ数少ない中堅どころ
[注5] くらいの認識しかなく、作品さえ聞いたことなかったのだが、いざ演奏が始まってみると、バリトンサックス、ベース、ドラムという一見貧相な編成から立体的な音世界がじわじわと現れ、深まり、まさに息つく暇もない。そこに、舞台左手からお坊さんのような男が登場し、何の合図もなく演奏に加わる。ケメネールだ。ふっくらとしたやや高めの声で、メロディーが伸びるところでは鼻にかかったようなヴィブラートをきかせる。コルヌルー・トリオの硬質なサウンドに、柔らかく、かといってすぐに調和するのでもなく、螺旋を描くように加わってゆく。
即興が緊密になるにつれ、ケメネールは垂直にジャンプして足音を鳴らすようになる。これが独特の効果を発揮するのだ。見ているほうも気分が高揚してくる。歌そのものは、初めてということもあってやや単調に聞こえ、ブルトン語で歌われる以上歌の内容もわからないわけだが、この足音のおかげで少しわかりやすくなるようだった(いま思えば不思議だ)。歌い方で面白いのは、息をつぐ場所が適当で、予期しないところでふっと切れるのだが、再び戻ってくる時に、最初の出だしがはっきりしないこと。まるで、歌わなかった間も歌が続いているかのように、どこで発声しようが関係ないとでもいうかのように歌うのである。
そのようにして演奏は最高潮に達し、当時の流行りということだったのか、「レ・ファビュルー・トロバドール」の若い客層を意識したのか、“人力ドラムンベース”のような激しい展開になった。結局、音楽の歓びに発見の喜びが加わって大いに楽しんだコンサートではあったが、ケメネール自身の音楽に親しんだいまとなっては、ケメネールにとっては相当きつかったに違いないと思う。伝統音楽とは修練と鍛練の成果であり、それだけに繊細な生き物だ。それに基づいて、それとは方法論がかなり違うフリージャズのグループに参加するわけだから、ケメネールには二倍以上の労力が課せられることになる。そのような出会いが創造的に発展することは滅多になく、それを成し遂げたケメネールは本当に偉大な音楽家なのだろう。
 |
 |
|