ラマダンの夜が明けて 昼間賢


 九○年代の東京の秋の風物詩だった「フェスティヴァル コンダ・ロータ」が昨年十月に、久しぶりに行われた。再開のテーマは「ラマダンの夜」で、ごく大ざっぱに中東と呼ばれる地域から、様々な傾向の音楽家を五組ほど、東京と大阪、そして長野県諏訪市に招き、一週間にわたって繰り広げられた。日本のポピュラー音楽史に残る、画期的なイベントだったことは間違いない。僕は拙著『ローカル・ミュージック 音楽の現地へ』の中で、招へいされた五組のうち最も話題性があり、それだけに例外的な存在でもあったグナワ・ディフュージョンについて、積極的に論じていて、それが日本では最初のまとまった紹介だったことから、音楽祭の主催者カンバセーションの依頼を受けて、半年以上前から音楽祭の準備に関わっていた。中東の音楽の専門家ではなく、大学人としての地位もなく、ライターとしてはまったく不器用な僕を、大がかりな音楽祭のメッセンジャーに起用したカンバセーションの皆さん、とりわけ中西幸子さんに、まずは心から感謝の気持ちを捧げたい。

 そう、僕の役割はメッセージを伝えることだった。パレスチナ情勢が、何年ぶりかで、しかしもう何度目かわかならいほど恐ろしく緊迫した時期に、オリエントの音楽家たちを招いて演奏会を開くことが、民族音楽なり、ワールドあるいはクラブ・ミュージックという装いに包んだとしても、どれほど大切で、かつそれなりのリスクを含んだものであるかは、お祭りムードを若干損なうとしても、是非とも強調しておきたかった。そこで思い浮かんだ言葉は以下のとおり。

  文明揺籃の地、オリエント。
  しかし「中東」ほど、イメージが画一的で、現実には多様な地域もない。
  色々な香り、模様、声、そして表情。
  長い間、イメージとしての中東は、西洋の想像物だった。それを見直すときが来ている。
  私たちから見れば、西洋よりも近い、西方の国々。人なつっこく、実直で、驚くほど親日的な人たち。
  「文明の衝突」なんて、戦争の口実でしかない。人間同士、相手を尊重すれば、互いの言葉は響き合う。
  音楽が生まれる。世界のルーツが開かれる。
  中東の音楽を聴くこと、それは、グローバル化へのレジスタンスなのだ。


 念のため明記しておくならば、この言葉は、エドワード・サイードのオリエンタリズム批判の影響を受けている。欧米の対アラブ政策に追随するのではなく、パキスタンからモロッコまでの広大な地域の歴史と文化、そして現在の諸問題への理解を深めながら、私たち自身の回路を持とうとすること。「ラマダンの夜」は、そのきっかけとして、またとない機会になるべきだった。

 しかし、そのような「べき論」で事が進めば誰も苦労しない。グナワ・ディフュージョンの来日については、奇跡的な招へいというのが、事情通の間では共通の受け止め方だった。グナワ以外の四組は特に問題ない。ファイズ・アリー・ファイズとカイハン・カルホールは民族音楽でいいわけだし、デュオウードとメルジャン・デデはクラブ系ということでOK。問題は、歌詞が重要なグナワ・ディフュージョンの扱い方で、そのグループが来日するというのに、日本盤が事実上ないという状況だった。つまり、グナワ・ディフュージョンは扱いにくい存在で、紹介者といえども、そのようなグループばかり目立たせるわけにはいかなかった。

 先の文章を含むプレス・リリースが完成してからは、音楽祭の準備は多面的に展開した。ワールド・ミュージック関連の代表的なジャーナリストによるイベントやトークショーが催され、グナワ・ディフュージョンに関しては、近作『スーク・システム』の日本盤が出ることになった。その中で、自分が発したメッセージの比重はどんどん小さくなっていくようだったが、そのこと自体、決して不満だったわけではない。何となく意欲が殺がれてしまったとすれば、それは、音楽祭に関する情報の露出度が上がれば上がるほど、適度にエキゾチックなサウンドを、アタラシモノ好きな都会のニューリッチたちに提供する、という調子が強くなり、それとともに「やっぱりそうか」的な諦めムードに陥った、ということだ。いかんともしがたかった。日本の異文化受容は、明治以来ずっとそうなのだ。元の文脈は外して、享楽的に享受できるモノだけ取り入れるという慣習。ローカルなものの重要性が、欧米の学術界ではもはや常識といってもいいくらいあちこちで指摘されているときに、日本では相変わらず、脱文脈化~物象化~商品化の悪循環から抜け出せない。僕が外国の文物に接するようになった九○年前後には、文化的言説といえば、まだ映画関係者の言論が幅をきかせていて、その高圧的な調子によく苛立ち、それに対しては音楽を媒介とした開放的な言葉を投げかけていくことが新たな地平を切り開く、と考えたこともあった。しかし、その考え方は間違っていたのかもしれない。映画には、原作もあれば脚本もある。作品の外では、ストーリーを解釈する言葉がついて回り、さらに、同時代文化との関連から様々な言説が派生する。それらすべてが意味だったのだ。時代は変わった。言葉を失った音楽の広がりに、屹立する言葉は無用かつ不要である。無数の葛藤をくぐり抜けてきたオリエントの音楽も、一度骨抜きにされてしまえば、消費の場で流されている消費促進のBGMと大差なくなってしまう。そしてそのことを言い表すための場が、回路が、もうすっかりなくなってしまっている。

 そんなわけで、音楽祭への一般の関心が高まるにつれて、個人的な期待感は逆に小さくなっていった。もとより、三枚目のアルバム『スーク・システム』のサウンドは、前作や前々作に比べれば聴き劣りするものであることは、著作の中で明言していた。歌詞の切れ味は、そのものとしては相変わらず抜群だったが、何曲か以外は、音が言葉についてきていなかった。今回は、久しぶりに行われた大がかりなツアーの後の来日で、新作に取り組んでいるという情報も伝わっていたが、新作発表後の公演とは違うわけで、むしろ最悪の事態すら予想された。そこへ、現代フランスのポピュラー音楽の素晴らしき紹介者であるメタカンパニーから『スーク・システム』の日本盤制作への依頼があった。あいにく非常に忙しく、歌詞の翻訳なら、ということでお引き受けした。そのときは、断ろうにも断れないという気持ちだったが、結果的には、この仕事が、音楽祭のために僕が手がけた最も善い行いだったことになる。

 何のことはない。この機会に、翻訳の大切さに、いまさらのように気づいたのだった。メッセージ性の強い音楽を何とかして紹介しようと苦慮する前に、メッセージそのものを先に訳すべきだったのだ。そしてアマジーグ・カテブの歌詞の翻訳は、そんな「べき論」は吹き飛ばしてしまうほど、とても楽しい作業だった。機知に富んだ言い回しや、皮肉たっぷりの表現や、絶妙な言葉の掛け合わせなど、一行たりとも手を抜かない、大した才能である。まるで短編集のような言葉たち。また、作詞の際には、使える言葉が限られるために重要な情報は細部に詰めこまれることがよくあるが、『スーク・システム』でも注は不可欠だった。注を付すことで、僕自身初めて知った事柄もいくつかあった。内容の面では、欧米の側であろうと、アラブ世界の側であろうと、強権的に支配しようとする連中や、その脇で私腹を肥やそうとする者は誰でも槍玉に上げられる、要するに、世界の見せかけを暴きたてる歌が多い。初期の作品と比べれば、全体的にやや一本調子な感じがするものの、発表の時期(2003年)的に当然の対応だろう。アマジーグの歌詞は「やられたらやりかえせ!」風の反体制ソングではなく、制度そのものを問題にする一種の現代思想なのだ。たとえば「ペテン師の町」には、次のような一節がある。

  パレスチナ虐殺の半世紀
  セム人だってそこまで望んだわけじゃない
  誰だって大量殺戮の夢なんか見ない
  (中略)
  問題は、あの小さな民族じゃない
  あんたやおれでもない
  世界中に離散したバカでかい金が問題なんだ


 ここで「離散した」と訳された元の言葉は「en diaspora」である。イスラエル人ではなく国境を越えた金銭が問題なのだ、ということ。個々の政治家ではなく資本主義システムが問題なのだ、ということ。『スーク・システム』は、全世界的金融システムに風穴を開ける作品なのだ。グナワ・ディフュージョンの支持者の多くは親アラブ的だから、このような、目下の敵を免除するかのような発言は、相当勇気の要るものだろう。実際には、このような立場を強めれば強めるほど、自分の世界しか見えていない「普通の」支持者たちは離れていく。だから、グナワ・ディフュージョンをフランスの移民の代弁者に仕立てようとしてもうまくいくわけがない。アマジーグの歌は、特定の場所には向けられていない。

 だから、翻訳しよう。翻訳とは、世界を内側から見るための方法である。ポピュラー音楽に関しては、直輸入盤で聞き流すよりも、翻訳を通して、現地で聴かれているように聴くほうがいい。目新しいサウンドを差異として取り入れるのではなく、発せられたメッセージを同一の状態で受け取ること。日本語化することが、世界化することになるのだ。ポピュラー音楽の魅力は、作品そのものよりも、その作品に自らを映し出している人々の結びつきにある。観光から(想像上の)共生へ。そのためには、障壁としての差異は取り払い、翻訳を通して同一の事態を分有する必要がある。実際には、多少耳障りが悪くても、場合によっては直訳しなければならない。最近の日本盤では、曲のタイトルを訳さない(原題そのままでカタカナ表記する)場合が多く、困ったことだ。たとえば、オクシタン音楽のグループ、デュパンの傑作『Les Vivants』が日本盤化されたのは喜ぶべきことだが、原題「生きている人たち」は決して難しい言葉ではないのに、なぜ訳されていないのか、理解に苦しむ。重要なメッセージは正しく訳さなければ、日本盤を制作する意義は半減してしまう(かくいう僕も『スーク・システム』では、アラビア語のタイトルを訳 ことができなかった)。とにかく、詳細な解説と歌詞カードの重要性は今後いっそう増すだろう。そこで、実行に移すのは難しいかもしれないが、レコード会社の方々は、解説&歌詞カードを別売りにしたらどうだろうか。手間がかかり、儲けの幅は小さいかもしれないが、長期的には成果が上がるのではないだろうか。

 クワトロの単独公演の日、僕はアマジーグと昼食を共にすることができた。低音がよく響く素晴らしい声は、才気煥発な話術とともに、まるでゲンブリのようだった。スター気取りはまったくなく、何に対しても流れる水のように自然体な人だった。公演については、特に書き残しておきたいことはない。各グループの出来はまちまちだったようだが、それで評価が上がったり下がったりするわけではないだろう。全公演の様子は、横井一江さんが、次のサイトで報告されている(http://www.jazztokyo.com/yokoi/v08/v08.html)。早稲田大学で行われたアマジーグの講演会に関しては、粕谷祐己さんが、ご自身のブログ(http://blog.goo.ne.jp/raidaisuki/)に全容を公開されている。また、アルジェリア史の研究者、渡辺祥子さんが、グナワ・ディフュージョンについて、専門の立場から綿密な議論を展開されている(http://islam-field.hp.infoseek.co.jp/watanabe.htm)。関係する音楽誌ではそれ相応の評価が下されただろう。そして、大新聞や雑誌などにコンサート評が載らなかったことはまったく残念だった。今日のマスメディアは、完全に広告の集合体と化してしまっている。そこで流される情報の質と量は、そのために費やされた金額に、精密に比例している。

 それにしても、近年グナワ・ディフュージョンに加わった本職のグナワ演奏家、アブデル・アジズ・マイスールの活躍は、特筆に値するものだった。今回は、彼の存在がアマジーグに匹敵するほど大きく感じられ、特にシアターコクーンではそうだった。クワトロでも、ミクスチャーロック~ラガ系の曲目はおとなしいくらいで、それがマイスール中心のストレートなグナワに変わると、ぐっと活気が戻ってくる。アマジーグは歌で、マイスールはグナワで、交互に演奏を盛り上げた。マイスールは、強烈な個性の持ち主であるアマジーグが、グループ結成から十年たって初めて迎え入れた他者なのだ。グループの音楽性が煮詰まったとき、母なるアフリカを改めて導入すること。原点に立ち返ること。グナワ・ディフュージョンの音楽は、どこまでも健全である。

 ポピュラー音楽は「庶民の音楽」であり「誰でもできる音楽」である。その反対は、原則として有資格者のみアクセス可能な、伝統音楽やクラシックである。後者はテクニックの音楽、前者はメッセージの音楽だ。九○年代以降のポピュラー音楽は、様々なサウンドのさじ加減で個性を演出してきたが、ヴァリエーションも出そろった昨今では、耳目を集めるメッセージがあるかどうかが決め手になる。ポピュラー音楽は振り出しに戻ったのだ。世界各地から私たちのもとに、様々なメッセージが届いている。中には闘いを呼びかけるものも少なくない。とりあえずそれらを翻訳しよう。そして、翻訳したものをもう一度訳し直そう。いわば「状況の翻訳」が必要だ。国内問題の多くが他の国々にも見受けられる今日、個々の状況は異なっていても、問題の質は往々にして同じである。いまここで、彼らと同じように闘うとしたら、何に対してどのように闘えば「同じこと」になるのか。もう一つ大事なことは、誰でもできる音楽=ポピュラー音楽のメッセージが、あくまでも個人の資格で発せられるということだ。それは、個々の人間がよりよい生をともに願う言葉であり、人を丸めこもうとする集団の、顔の見えないキャッチ・フレーズとは、本質的に相容れない。

 翻訳しよう、個々の立場を堅持するために。個人の言葉を私たちのものとするために