![]() 1 2 3 4 5 JUNKU連続トークセッション 2001年12月8日(土曜日) 16:00〜17:30 場所:池袋ジュンク堂 ●サルの毛繕い 管:ところでこの「進化」というテーマに関連して、当時港くんがさかんに言っていたことでひとつ僕が強烈に印象に残っていることがあって、それは「写真を撮ることは、サルの毛繕いから始まった」という話(笑)。覚えてるかどうかわからないけど。 港:さっぱり覚えてない。 管:これも非常に面白い話だと思います。要するに写真を撮る、あるいはシャッターを押すという行為を、人類の動作の進化のひとコマとして捉える立場。おそらくこれは、今まで写真家が語ったことのない視点だったと思うのですが、それを当時まだ23、4歳だった彼がはっきりと見据えていたというのは特筆すべきことだと思います。 写真は人類の進化にとってどう位置づけられるものなんだろうか。どう考えてる? 港:う〜ん…………。今言われるまで、これも忘れてたから(笑)。 僕はサルの話がもともと好きで、サルという動物そのものも好きで、その後アフリカに行ったときもいろいろなサルを見てきたんですけれども……、今この会場でも(編集者の)丸山さんがカメラを持って撮ろうとしている動きに象徴されるように、写真家の行為というのは目と指のあいだで起きる行為です。目と指のあいだと言っても、もちろん神経のつながりを介しているわけでありますが、撮影というのは目によって見ている世界を指の動きでなんとかして定着させようという、すごく簡単に言えばそういう行為です。 写真を撮るといってもいろいろな方法がありますが、例えば僕のとっているスタイル――いわゆるスナップショット――は、比較的軽量な「ライカ型」のカメラを肩から提げて歩きながら、ときどき立ち止まって、場合によっては動きながら撮るというものです。このスタイルの肝になるのは目の動きと指の動きの同調ですね。ところが、最近出てきているデジタル系のカメラでは何故か、この同調がうまくいかない。みんなそう言います。やはりタイムラグがあるからでしょう。目で見たとき、指で押したとき、そしてシャッターが下りるあいだに、コンマ・ゼロ数秒のズレがある。この僅かなタイムラグが写真家にとっては致命的で、どうしてもデジタルカメラでスナップを撮る気になれない。それほど、非常に短い時間に行なわれる認識が写真を成立させている。 では、そういった認識がカメラによって初めて人類にもたらされたものかというと、そんなことはない、と。……こんなことを23、24歳ころに考えてたんだね。信じられないなあ。昔のほうが良かったかな(笑)。だんだん思い出してきました。 それで、この認識をどこまで遡れるかと。例えば技術面で考えても人類の歴史のなかではいろいろあったはずだけれど、その頃と思い浮かべていたのがサルの毛繕いなんです。上野の動物園でもいいですけれども、一度サルの毛繕いを見てみてください。ほんとうに面白い。あれは、ご存知のように別にノミを取っているわけではなく、毛の根元に湧く塩の結晶を食べて塩分補給しているようですが、ぼくには一種のスキンシップというか、コミュニケーションみたいに見えるんです。『ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ』という面白い本があるので読んでみてください。とにかく、あのときのサルの表情がいいんだよ。相手の毛先と自分の指先を集中して見てるあの顔。あれほどいい顔は、最近じゃ人間にも見られないですね。サルの毛繕いをずーっと見ていると、目と指先の同調の意味が本当によくわかる。少なくとも僕はわかったと思った。目と指先の同調がイメージの始まりだということが、そのときにパッとわかっちゃった。というかわかったような気がしたんです。 話を写真に戻すと、論理的に考えれば、ファインダーを覗きながらコレだと思った瞬間に指を動かしたのでは、写したいものが写らない。思った瞬間の少し前にシャッターを押していないとダメなんです。例えば50年代、60年代に出てきたスナップショットの名作と言われている作品を細かく検証してみる。検証というのは、コマとコマの連続、所謂ベタ焼きを見ていくわけですが――ベタ焼き(コンタクトプリント)というのはフィルム1本分をA4サイズくらいの印画紙に密着させて焼き付けたもので、36枚撮りのフィルムならば36枚のコマが一度に全部見られるわけです――、たいていのスナップショットは同じところで何回かシャッターを押していますから、決定的な1枚の前後が見える。これを見ると、どの傑作も思った前(の瞬間)に撮れているというのがわかる。つまり、もう(その瞬間が)来る前にすでに見えている、ということ。来る前にすでに見えているということは、(その瞬間が)来る前にその目の前の世界にすでに触れている、ということ。この「すでに触れている」ということがすごく大事で、世界と自分のあいだが完全に切れているのではなく、すでに触れてる。撮れているときには世界はもう来ている。この「すでに」というのが、サルのコミュニケーションの基本にあるような気がする。またわからなくなってきましたが(笑)。 管:「目と手と心が一直線に並ぶ」という言い方をブレッソンがしていて、今の話にまっすぐ通じていますね。それに、サルの指先は今までは餌を取る、物を食べるというような意味のある労働ばかりをしていたのが、手を使えるようになって指が完全に無意味な行為にある種の快感を見出すようになり、そこに指の自由さが生まれ、それが人間の創造に繋がる、という話もよくわかります。コミュニケーションという事件が、必ず時間を予期した部分がないと成り立たない、ということもお話の通りだと思います。そういった問題群が、写真というメディアを得たことによって顕わになってきたわけですね。 ●赤道 管:さてここでもう一つ、昔話をさせてください。80年代半ばごろ、ぼくと港くんは二人で勝手に「低緯度クラブ」という一種の秘密結社(秘密なき秘密結社)を作っていました(笑)。当時、友人たちと出していた「Meli-Melo」という同人誌の何号かに、二人で短いマニフェストを共同執筆しています。熱帯地方に対する関心から始まり、南米的なもの、熱帯的なもののある種のリズムを探りつつ、やがて二人で話しているうちにクレオール主義という言葉を使うようになりました。現在は、クレオールという言葉は比較的みなさんの耳になじんだものとなっていますが、ぼくらもまた出発点から、精神のある部分を「クレオール主義」という言葉にかけてきたといっていいと思います。(ちなみに「クレオール主義」という言葉が日本語で初めて活字となって印刷されたのは、そこにいらっしゃる丸山哲郎さんが編集していた雑誌「翻訳の世界」にぼくら二人と今福龍太、旦敬介、細川周平がリレー連載した「クレオール主義の旗の下に」だったはずです。)ぼく自身の出発点は、西江雅之さんという文化人類学者から学んだピジン・クレオール言語学なのですが、その後、ではなぜ熱帯地方にそれほどの魅力があるのかという、理論にならないような理論の可能性を考えるようになりました。ぼくは、例えばハワイ諸島が大好きですし、カリブ海の島々に非常に惹かれるものがあった。そして港くんはさらに、相変わらず大股で、世界中を視野に入れて、赤道一周の旅をすることになった。 港:1990年ですね。 管:赤道地帯および熱帯地方に、なぜそれほどの魅力があったのかというと、ぼくにとって熱帯地方とは端的にいって運動性を誘発する場所だということがあったと思います。同時にその運動性に刺激されて自分が動き出し、踊り出してしまう感覚は、熱帯がある種の即興的なワザを編み出さないかぎり自分が生き延びることにつながらないという、ある意味では非常に過酷な環境でもあることを背景としているという気がしているんです。 そもそも「赤道」というテーマを選んだ理由について、話してもらえますか。 港:コニカ・プラザ奨励賞という、でき上がった作品ではなく、あるプロジェクトに対して、それを実現するための資金を提供するという少し変わった賞ができたというのを聞いたんです。それでなにかプロジェクトを提案しようと思った。南米旅のハイライトはアマゾン河を舟で下ったことなんだけれども、その記憶が強くて、熱帯の密林を旅したかったという理由がひとつ。もうひとつは、いちばん大きな、距離の長い旅を一度やってみたいという気持ちがあった。地球という星の最大の円周は赤道になるわけで……。それと、僕は簡単なのが好きなんですね。赤道、とか、山、とか(笑)。そこでそのプロジェクトの企画に「赤道」と書いて出したら、それが通ってしまって、500万円いただきました。 まずアフリカの赤道地帯から始めました。皆さんご存知かどうか、赤道地帯の陸地というのは意外に少ないんです。長旅になりそうなんですが、実はほとんど海なんですね。アフリカはガボンからケニア、タンザニアに抜ける中央地帯。アジアはインドネシアのいくつかの島、スマトラ、ボルネオ、このところ暴動が心配されているスラウェシ、その辺りの島。アジアにおける赤道地帯にはほとんど陸地がない。あとはアマゾン流域、エクアドルからブラジルにかけて。そういうわけで、1年ちょっとかければ、まあできない旅ではない。もちろん、大陸と大陸のあいだを真横に結ぶ航路はないので、ひとつの大陸で撮影を終えると、いったんはどこかに出なければならない。特に当時、南半球では横に繋がる交通がなかったので、例えばチリからオーストラリアに行こうとするといったん北に戻らなきゃならなかった。結局4回に分けて旅をしました。 その1年後に大きな展覧会を開いたのですが、これをやって僕がよかったなと思ったのは、アマゾンで見た密林と同じような風景がどこでも見られた。地球上の熱帯雨林のほとんどすべては赤道上に見つかるわけですが、文化も言葉も違うけれども、そこで人間がやっていることはそっくりですね。 1回の旅がだいたい3か月ぐらいで時間がいくらでもある。だいたい5日遊んで2日撮るという感じ。遊んでいる時間というのはだいたいボートでブラブラするんですけど、言葉がうまく通じないから日記帳を持ち歩いていろいろ書いて遊んでた。どの国でもいろんな彫刻家や画家がいたからいろいろ書いてもらったりして。面白いと思ったのは、彼らは絵を描いても影をつけない。ガボンでは、石鹸石っていう奇麗な石で作る彫刻が民芸品になっているんだけれども、そこの職人に絵を描いてもらうと、影をつけない。日本人が付けるような斜め45度の影が付けられないんです。あれっ? と思いました。スラウェシ島でも同じ。物の見方がどうしても似てくるんでしょうか。太陽が真上を通って仕事は午前中だけ、日中は外に出ないから、物に影をつけるという意識がないのかな。こんなエピソードからもわかるように、あれだけ遠く離れている環境のなかで、かくも似てしまうのは何故だろうというのが、新鮮な発見として残ったね。 管:Latitude(緯度)という単語は、「精神の許容度」というような意味でも使われるのだけれども、熱帯に惹かれるというのは精神のlatitudeであると同時に、実際のlatitudeによって人間がいかに物質的に規定されているかということの発見に繋がるというのは、非常に面白いと思います。 ぼくが港くんの考えていることに一貫して感じるのは、一種のマテリアリズムです。ある物質的な存在としての人間を、見失わずに捉えようとしている。先ほどは「進化」の中で捉えるという言い方をしましたが、同時に地理学の中で捉える、しかもいわゆる人文地理学ではなく、自然地理学、地質学といったもののアナロジーのなかで人間の営みを捉えようとしているという姿勢が現われていると感じます。
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