10 Joanna Trollope, The Men and Girls
大人の小説
ちくま文庫や新潮文庫で翻訳が読めるイギリスの作家、W・サマセット・モームは、いろいろと気の利いた台詞を遺している。前にもどこかに書いたが、
「ある国の文化を知りたければその国の通俗小説を読むことだ」
という名言も、モームのエッセイ集に出てくる。
モームの小説も、「高級な」読者からは、通俗小説だ、と非難されていたそうだから、この台詞は一種の居直りでもあるわけだが、ヘンリー・ジェイムズの小説を原書で読む日本のインテリが英米の風俗には意外に暗かった、という実例もないわけではなく、モームのいうことにはそれはそれで説得力がある。
通俗小説とは何か、という問題は別にして、深遠な人間の真理を追究した小説は、えてして抽象的になりがちで、その国の人が何を好んで食べているか、とか、あまり哲学的ではない普通の市民は何を考えているか、などという話題はしばしば等閑視される。それに対して、いわゆる「通俗小説」には、日常に即した話題がたくさん出てくるし、作者のほうもインテリ層ではなく一般の読者のことを考えながら書いているので、よその国の人間が読むといろいろ面白い発見がある。
ただし、いくら参考になるといっても、あんまりにも程度の低いものは、最初から読む気になれない。もちろん、世評やジャンルにとらわれず、面白いと思う本を読めばいいのだが、普通なら、まあ、適当に俗っぽく、適当に文学的なものを探すことになるだろう。
今回紹介する本も、そういう小説の一つで、日本の英文科の学生の研究テーマにはなりそうもないが、くつろいで読みながら、イギリス人の日常や文化を知る助けにもなるという、なかなか面白い作品である。
作者はJoanna Trollope(ジョアンナ・トロロープ)、タイトルはThe Men and the Girls(『男たちと女たち』)という。
ジョアンナ・トロロープはすでにベストセラー作家の仲間入りをしている人なので、彼女の作品は日本の洋書屋にも並んでいる。そして、血なまぐさい出来事やどぎつい性描写とは無縁の、穏当な作風だから、この人の本には、新作のハードカバーをきれいにラップして、クリスマス・プレゼントにする、という利用方法もあるらしいのだ。
The Men and the Girlsは一九九二年の作品で、著者の現代小説(ペンネームで歴史小説も書いているのだ)としては五作目に当たる。文章も比較的平易で、親しみやすい。書き出しの部分を引用すれば、次のようになる。なお、舞台は大学町のオックスフォードである。
Because he wasn't wearing his spectacles, he didn't see her pedalling painfully along the gutter beside him in the dark and the rain, and, in consequence, he knocked her gently off her bicycle. He stopped the car at once, dead, and the rush-hour queue in Beaumont Street leant angrily on its collective horm, and blasted him.
He sprang out of the car, and hurried round the bonnet.
'I'm so sorry,' James said, stooping over her. 'I'm so desperately sorry'
「眼鏡をかけていなかったので、雨の降る暗がりの中、自分の隣の道路わきで一人の女性が大儀そうにペダルを踏んでいることに気がつかず、そのあげく、彼女を自転車からやんわり突き落とすかたちになった。彼は大慌てですぐに車を停めた。ボーモント通りを走るラッシュアワーの車の列からいっせいに警笛が響き、彼を責めた。
車から飛び降り、急いでボンネットの前にまわりこんだ。
『申し訳ない』相手の女性の上からかがみこんで、ジェームズはいった。『ほんとうに申し訳ない』」
余談だが、この冒頭を読んだだけで、イギリス人が書いた文章であることを推察できる人もいるだろう。queue(行列)やbonnet(自動車のボンネット)といった単語やpedallingという綴りがイギリス流だからである(アメリカ流では、それぞれlineとhood、pedalingになる)。原文にあるgutterというのは、辞書には「溝」と出ているかもしれないが、実際には歩道と車道の境目の部分で、水はけのために軽い傾斜がつけられているが、「溝」が掘られているわけではない。
このジェームズという男はオックスフォードに住む文筆家のインテリで、車に乗るときには老眼鏡をかけなければいけない年齢に達している。三十二のときに脳腫瘍で妻を亡くし、以後、二十年間、独身を通してきたが、五十三のときに二十八歳の女性、ケイトと出会い、正式に結婚はしていないが、現在まで八年間一緒に暮らしている。つまり、これは、三十六歳の女と六十一歳の男を主人公にした、大人のための小説なのである。
ケイトがジェームズと一緒に暮らしながら、正式に結婚するのを拒んでいる心理も、それを太っ腹に受け入れながら、どこか物足りなさを感じているジェームズの気持も、すこぶる丁寧に描かれており、説得力がある。二人と同居しているジェームズの伯父(独身を通してきたもと校長)やケイトの娘(生意気ざかりの十四歳)といった脇役にも、ちゃんと活躍の場所が用意されていて、作者が登場人物全員に暖かい視線を注いでいるのがわかる。
ミセス・バチェラーという老婦人(右に引用した冒頭で、自転車に乗っていてジェームズの車にはねられる女性が、そのミセス・バチェラーである)が、主人公二人のあいだに割り込んで、穏やかだった同棲生活に波風が立ちはじめ、物語が動きはじめるのだが、その老婦人の描きかたも面白い。「オックスフォードでよく見かけられる威厳があって賢い老婦人」と説明されているが、このミセス・バチェラーは、平たくいえば、愛すべき意地悪ばあさんなのである。
日本の小説好きは、五十歳を超えると、時代小説や戦記物しか読む本がなくなるが、イギリスの読者には、初老になっても、ちゃんと読める小説が用意されている。そういうところにも「文化」の違いを感じる。