11 Nancy Smith, The Fiction Writer's Handbook
小説作法
よく考えると、小説というのは不思議なものだ。みなさんは、そう思ったことはないだろうか。たとえば、「ぼくは あさの7じにおきて ごはんを たべました。とても おいしいと おもいました」という文があったとき、これが原稿用紙に子供の字で書かれていれば、ああ、小学生の作文か、と思う。ところが、これが活字になって、「作・宮脇孝雄」という但し書きが添えられていたら、同じ文が小説の一節になってしまうかもしれない。
もう一つ例を挙げれば、「私は朝の七時に起きて朝食をとった。うまい、と思った」と書いてあれば、新聞のコラムかもしれないし、長編ノンフィクションの一節かもしれないし、随筆の一部かもしれないのだが、不思議なことに、「彼は朝の七時に起きて朝食をとった。うまい、と思った」と、三人称に書き換えただけで、「これはコラムでもノンフィクションでも随筆でもない、小説だ」と思えてくるのである。
元来、書物というのは、真実が書いてあるものと相場が決まっていた。その代表は聖書だろう。今の人が聖書を読めばお伽話に見えるかもしれないが、何世紀か前の人にとっては、すべて実際にあったことが書いてある本に見えたはずである。
日本の源氏物語などは「物語」というジャンルで、小説とは別だとすれば、「書物=本当のことを書いてあるもの」という常識が通用した時代は十七世紀まで続く。そのあと、十八世紀の始めごろ、イギリスのダニエル・デフォーというジャーナリストが、『ロビンソン・クルーソー漂流記』という本を書いて、歴史は大きく動くことになる。もっともらしく書かれているが、もちろん、ロビンソン・クルーソーというのは架空の人物である。読者も、うすうすそのことに気がついていた。つまり、嘘八百が書いてあって、読者もそれが嘘だと知りつつ楽しんだ、という意味で、これが世界最初の「小説」とみなされている。
この小説というジャンルは十九世紀に完成され(一つの理想形がフローベールの『ボヴァリー夫人』)、文学の主役の座につくことになる。現在、小説はどこにでもある当たり前のものになっているが、二百年ほど前にさかのぼれば、小説の読者などというのは、ファミコンに熱中する若者のように、古い人からは奇異の目で見られていたに違いないのだ。
というわけで、小説の翻訳を商売にしながら、常々、小説とは不思議なものだ、と思っているものだから、『小説の書き方』とか『小説とは何か』という種類の本があれば、つい買い込んでしまう癖がついている。今回紹介する本もその一つで、題名はThe Fiction Writer's Handbook (『小説家ハンドブック』)という。
読んでみると、小説の書き方から、原稿のタイプの仕方(A4の紙にダブルスペースで打つ)、出版社への売り込みの仕方まで書かれているのだから、広い意味でいえば、これはハウ・ツー物の本である。しかし、一つの小説論として読むこともできる。
この本で、作家志望者への一番大事な忠告として特筆されているのは、
「語るな、示せ(Show, Don't Tell)」
という原則である。その箇所が一番面白かったので紹介すれば、この本の著者、ナンシー・スミスが、悪い小説の例として挙げているのは、次のような文章である。
Gemma was suddenly filled with fear. Her feet refused to move, as if they were literally rooted to the spot. She wanted to run butdaren't, certain that he was there, lurking in the shadows, waiting to reach out and grab her, if she did.
「ジェンマは不意に恐怖に満たされた。彼女の足は、文字どおりその場に根が生えたように動こうとしなかった。彼女は駆け出したかったが、その勇気はなかった。あの男がここにいるのだ。闇の中に潜んで、彼女が駆け出したら手を伸ばしてつかみかかろうと待ちかまえているのだ」
実は、こういう文章は日本の小説にも山ほど出てくるのだが、これは「語っている」からいけないのだという。で、ちゃんと「小説になっている」文章は、次のようなものだ。
Gemma jerked to a halt and freeze. "Who's there?" she croaked, her mouth suddenly dry. No one answered -- but her ears, strained to chatch the tiniest sound, heard a faint rustle from the furthest corner of the room, shrouded in groom. The corner nearest the door. It's him! He's here, I know he is, she thought.
「ジェンマはびくっとして立ち止まり、凍りついた。「誰、そこにいるのは?」不意に口が乾き、彼女はしゃがれ声で尋ねた。返事はない――だが、どんな小さな音でも聴き逃すまいと砥ぎ澄まされた彼女の耳は、闇に包まれた部屋の奥の隅からかすかな衣擦れの音が響いたのを捉えた。戸口に一番近い隅。あの男だ! あいつがいるんだわ、そうに決まってる、と彼女は思った」
著者がいいたいことはもうおわかりだろう。登場人物のジェンマは怖がっているのだが、「恐怖(fear)」という言葉を出せば単なる「説明」になる。だから、「ジェンマは不意に恐怖に満たされた」はペケで、こういうときには、「凍りついた」とか「しゃがれ声で尋ねた」などという「描写」で恐怖を描かなければならない。
「あの男がここにいるのだ」といきなり断定するのも駄目で、「砥ぎ澄まされた彼女の耳」が「衣擦れの音」を捉えた、という手続きを踏んだ上で、「あいつがここにいる」という判断を書かなければならないのである。
この本を読むと、自分でも今すぐに小説が書けそうな気がしてくるのが面白いところで、その意味ではいろいろ遊べそうな本だろう。