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Book Review Archive

宮脇孝雄


14 Pauline Kael, 5001 Nights at the Movies


映画批評の技術


 仕事がら、書評をお願いします、とか、この本の感想を書いてください、といった注文がときどき入ってくる。しかし、書評や感想を書くのはほんとうに難しい。意外に思われるかもしれないが、相手が難しい文学作品なら、比較的簡単である。複雑怪奇な作品は、取りつく島もないように見えて、よく探せばいろいろな斬り込み方を見つけることができる。ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズウエイク』という作品がいい例で、この難解な長篇に関する評論文、感想文は、何万も発表されている。無数の顔を持っている作品だから、それぞれの評者が好き勝手なことをいっても、いちおう様になるのだ。

 それに比べて、ミステリや映画の評論は実に難しい。なぜかというと、ミステリや映画は、誰が見ても楽しめるように作ってあるからである。中にはつまらないものもあるが、少なくとも作り手本人は不特定多数の読者や観客に向けて面白いものを作ろうと努力しているはずだ。しかし、作り手の意向に沿った感想を述べるとつまらない文章になるし、好き勝手なことを書いて読み手を納得させるには高級な技術がいる。

 例を挙げれば、おしまいに意外な犯人が登場するミステリがあるとして、その感想を求められ、「最後に意外な犯人が明らかになる」と書くのは間が抜けている。ラストで人を感動させるように作られた映画を見て、「この映画のラストは感動的である」と書くのも、何かおかしい。つまらないと思ったのなら、「最後に意外な犯人が明らかになるが、それまでのこれこれこういう手続きに不備がある」とか、「感動的なラストだが、次に述べるような理由で作為的な押しつけがましいものになっている」などと、具体的に指摘しなければならないのだが、それをするには、人並外れた知識や経験、センスが必要なのである。

 この難しい仕事を延々と続けている人物に、ポーリン・ケールがいる(この人は、少し前に本誌のインタビューに登場した)。ポーリン・ケールは、ニューヨークで活躍している映画評論家で、一九四一年にオーソン・ウェルズが撮った『市民ケーン』の制作にかかわってから、半世紀のあいだずっと第一線にいる大ベテランでもある。映画評論集は何冊も発表しているが、その中で代表作の一つに挙げられるのが、今回紹介する5001 Nights at the Movies である。5001 Nights というのは、アラビアン・ナイトの千一夜にひっかけた洒落で、『映画五千一夜』という意味だが、誇張ではなく、この分厚い本には、五千本以上の映画評が収録されている。

 ニューヨークに〈ニューヨーカー〉という高級週刊誌があるのはみなさんもご存知だろう。その〈ニューヨーカー〉に、Going On About Town (「街の出来事」)というコラムがあり、映画・演劇・音楽の短評が掲載されている。長年にわたってその欄に映画評を書いているのがポーリン・ケールで、それを集大成したのがこの『映画五千一夜』なのである。

 長めのもの文章でも一ページ以内、短いものなら十数行という分量なので、適当なページを開いて楽しむことができるが、辛口の評論が多いから、馴れないうちはびっくりするかもしれない。

 たとえば、リヴァー・フェニックスが出て日本でもヒットした『スタンド・バイ・ミー』について書かれた文章がある。この映画は、純真な少年のひたむきさ、美しい友情、少年が大人になる悲哀、といった言葉で語られてきたが、ポーリン・ケールにいわせれば、「善意と誠実の大安売り。『大草原の小さな家』じゃあるまいし」となる。女性監督リリアナ・カヴァーニの耽美映画で、熱狂的ファンが多い『愛の嵐』に対しても、「ポルノ・ゴシック。男と同じように女にも屑みたいな映画が撮れることを実証しただけ」と手厳しい。

 原文を引用すれば、マイケル・ダグラス、グレン・クローズ主演でエイドリアン・ライン監督が撮った『危険な情事』は、次のように評されている。

 The film is about men seeing feminists as witches, and the way the facts are presented here, the woman is a witch. Brandishing a kitchen knife, she terrorizes the lawyer and his family. Basically this is a gross-out slasher movie in a glossy format. It's made with swank and precision, yet it's gripping in an unpleasant, mechanical way.

「これはフェミニストを魔女と見なす男たちについての映画である。事実が提出されているやり方を見れば、確かにヒロインは魔女である。台所の包丁を取って、彼女は弁護士一家を恐怖に陥れる。基本的には、これは、むかむかするスプラッタ映画(a gross-out slasher movie)の高級版(in a glossy format)にすぎない。洗練された几帳面な作り方をしているが、観客の心をつかむやり方は不愉快で人為的である」

 構成としては、まず「これはフェミニストを魔女と見なす男たちについての映画である」と全体の印象をまとめる。そのあと、微妙なところだが、「事実が提出されているやり方を見れば」や「洗練された几帳面な作り方」というフレーズで、この映画のテクニックをそれなりに評価する。そして、「観客の心をつか」んでいる映画だということも評価される。それを認めた上で、やり方が「不愉快で人為的」だと文句をつける――綾のある文章で、翻訳しづらいのだが、そういう仕組みになっていることは理解していただけるだろう。

 制作現場のハリウッドのそばで活動していると、浮き世のしがらみがあるのか、欠点をあからさまに指摘する批評は、西海岸に住んでいる映画評論家には書きにくいといわれている。東海岸に住むポーリン・ケールは、その点、自由な立場で発言を行なっている。有名な話だが、書きたいことを書く権利を確保するために、試写会で映画を見るようなこともしないという。つまり、一本の映画の批評を書くときには、映画館に出かけて、必ずお金を払って見るのである。似たような仕事をすることのある者の立場でいえば、これは、口でいうのは易しくても、実行するのは難しい。おおむね批判ばかり書いてあるこの評論集を読んでも嫌な感じがしないのは、筆者が自由な立場を確立しているからである。

uoload 97/10/26


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