15 John Cornwell, Powers of Darkness, Powers of Light
ボマー・ジャケットの神父
不思議な出来事というのは世の中にいくらでもある。その中のいくつかは、「目撃! 世界の超常現象! 今夜あなたの常識がくつがえる!」などというタイトルのテレビ番組でよく紹介されている。
こういう不思議話で、幽霊関係のものを集めた本は、以前、この欄でも紹介したが、幽霊ネタと並んで外国で多いのは宗教がらみの不思議な話である。日本でも血の涙を流すマリア像というのが確か青森にあったはずだが、あの種の話は世界のあちらこちらでよく噂になる。
今回紹介する Powers of Darkness, Powers of Light(一九九一年)は、世界各地で起こっている宗教に関した超常現象、神秘体験を、著者のジョン・コーンウェルが追いかけたノンフィクションだが、カトリック思想や教会と関連づけて描いているところが普通のオカルト本と違う点である。教会がどうからんでくるかというと、マリア像が血の涙を流した、というのは、それだけなら超常現象だが、教会がそれを認めると、今度は「奇跡」という宗教現象になるのである。
著者のジョン・コーンウェルは、少年の頃、カトリック教育を受けた人で、のちに教会を離れ、〈オブザーバー〉という有名な新聞で編集スタッフを務めたあと、現在はオックスフォード大学の研究員をやっている学者ジャーナリストである。文学者の伝記や自伝的小説も書いているが、本領は足を使った調査ノンフィクションにあるだろう。
いわゆる奇跡の中には、「聖痕」の形を取って現われるものもある。キリストがはりつけにされたときと同じ傷が一般人の体に現われるのが「聖痕」で(たとえば、キリストが釘を打ち込まれた左右の掌から血が流れるとか、茨の冠をかぶせられた額から血が出るとか)、教会公認の聖人、アッシジの聖フランチェスコにもその聖痕が現われたといわれているが、現在、教会は、この現象をなかなか奇跡とは認めたがらない。マリアが出現する、というのもよく見られる現象だが、こちらのほうは教会も自分の領分として認める傾向がある。
たとえば、一九八一年六月二十四日、ユーゴスラビアの田舎の村で、十四歳の少女が不思議な光を見て、マリアさまが現われた、と騒ぎはじめた。それから数時間のうちに、別の五人の子供が同じ光を見た。その光の中には、灰色のガウンを着た長い髪の女性が立っていたという。
ユーゴスラビアのその村の出来事は、カトリック教会も公認して、教会による研究のための雑誌まで発行されている。その結果、村は、年間何万人もの巡礼が訪れる聖地になってしまった。
子供の頃から宗教関係の神秘体験に興味を持っていた著者は、手はじめに、まずその村に出かけることにする。
この本は、著者がどこへ行って、何を見たか、というルポのスタイルで書かれているので、その文体がまず問題になる。これが冷静なハードボイルド・スタイルで、なかなか頼もしい。たとえば、ある神父を訪ねるくだりは次のように書かれている。
As I rang the bell the door was immediately opened by a man in a black zip-up bomber-jacket who introduced himself as Father Foley. He had been expecting me. He had a face like a boxer: flattened nose, high cheekbones fiery with broken capillaries, and overhanging eyebrows. He greeted me breathlessly, calling me 'my dear'.
「呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開き、ジッパーつきの黒いボマー・ジャケットを着た男が現われて、フォリー神父と名乗った。私が来るのを待っていたのだ。まるでボクサーのような面相だった。潰れた鼻、毛細血管が裂けて赤くなった高い頬、ひさしのように突き出た眉。彼は息苦しそうに挨拶をして、私のことを〈my dear 〉と呼んだ」
ここに登場するのは、例のユーゴスラビアの奇跡を調べている神父だが、ボマー・ジャケットを着て、ボクサーのように鼻の潰れた神父というのは小説には絶対に出てこないタイプで、ノンフィクションならではの意外な面白さがある。余計な感想をはさまず、とにかく見たものだけを書く、という著者のスタイルは、この一節からも読み取れるだろう。
そのあと、著者は、実際にユーゴスラビアに出かける。空に宗教画が現われたり、太陽がくるくる回ったり、ロザリオが黄金に変わったり、奇跡としかいいようのない数々の出来事が起こっているといわれる現地で、著者もいくつか不思議な出来事を目撃する。何よりも、関係者がみんな奇跡を信じ切っていることにびっくりする。それがきっかけになって、著者は本格的な取材に乗り出そうと決意する。
しばしば天使と会話をするというスペインの女性。聖痕が現われるモントリオールの老婆。神のお告げを聞いたというウクライナの政治活動家。不思議な出来事が起こったときくと、著者は世界各地に飛ぶ。このあたり、旺盛な探求心が読者の興味を引っ張ってゆく。
面白いのは、政情不安な国や、はなはだしい貧困の国などに、こういう神秘現象が頻発していることである。ユングの心理学や、集団幻想で片づけられるような出来事もあるが、それだけでは説明のつかない出来事も紹介される。たとえば、著者は、聖母像が涙を流すところをシシリー島で実際に目撃している。
著者は、こうした現象を信じているわけではないが、否定してかかっているわけでもない。いってみれば中途半端な立場だが、それだけで終わっていないのは、宗教的想像力とは何かという問題が隠しテーマになって見え隠れしているからだろう。一般の日本人にはわかりにくいが、子供の頃カトリック教育を受けて、結局カトリックから離れた人、というのは、心に傷が残るものらしく、この著者もそんなトラウマを踏まえて超常現象に取り組んでいる。
日本のテレビもこれだけ突っ込んだ取材をしてくれると面白いのだが。