2 Frederic Prokosch, The Asiatics
遍歴する叙情
ここ数年のあいだ、雑誌では読書案内の特集が流行している。〈作家・評論家が選ぶ恋愛小説ベスト五〇〉とか、〈海外ミステリ・オールタイム・ベスト一〇〇〉などという企画である。単行本でも〈ブック・ガイド〉のたぐいがたくさん出た。
まだ読んでいない面白そうな本を捜すとき、確かにそういう雑誌や単行本があれば役に立つが、考えてみると、あれは、コンピュータお見合いサービスに似ていないこともない。整理された情報が提示されて、容姿や学歴などを考慮に入れながらよさそうな相手を選ぶところに、便利ではあるが一丁あがり! 的なお手軽さも感じるのである。
本と付き合うきっかけには、当然ながら、お見合いとは別の出会いもあるわけで、偶然、街で知り合い、深い仲になった本には、格別の愛着がわく。
フレデリック・プローコシュという小説家の作品も、そういう「野合(男女が正式の結婚手続きをふまずに関係すること・岩波国語辞典)」で知り合った本である。十数年前、さる洋書専門の古本屋で、この作家のA Ballad of Love(1964年、ペンギンブックス刊、もう絶版)という小説を手に入れた。英語が易しそうだったから、何の気なしに買ったのだが、読みはじめると止まらなくなったのを憶えている。
題名はいささか恥ずかしい。何しろ『愛のバラード』というのだから。まるでロマンス小説である。だが、内容は強烈だった。
主人公はヘンリーという若者。彼にはステラという従姉がいて、二人は愛しあっている。アメリカを出発して、ヨーロッパを遍歴しながら、二人は官能の日々を送る。そのあいだに、ヘンリーは少年から一人前の大人に変わり、清純だったステラは逆に自堕落な女になってゆく。最後に二人がたどり着いたのはアフリカのサハラ砂漠。そのとき、ステラは麻薬に冒され、すでに色情狂になっていた。
――そんな話を、きわめて美しい詩的な文章で綴ってあったのである。私もまだ若かったので、これには血が騒いだ。
このプローコシュは、チョーサーを研究する英文学者でもあり、詩人でもある。たとえば、彼はこんな詩を書いている。
扉は閉まり、鍵は失われた
霜の夜に鴎は落ちた
さざ波立つ雪に血痕がつづく
私の恋人は冷たく横たわっている
燃える森のまんなかに
文芸評論家のまねをすれば、「死」や「喪失」といったものがプローコシュのテーマであるらしい。
とにかく、ほかの作品も読みたくなったのが、A Ballad of Loveに載っていた作者の略歴を見て、ちょっと悲観した。一九三五年に出した処女作がトーマス・マンに褒められた、と書いてあったのだ。三五年といえば、昭和十年なのである。かなり高齢の作家で、昔の本は、そう簡単には手に入らないかもしれない。先ほど引用した詩は英詩のアンソロジーで見つけたが、肝心の小説のほうは、『愛のバラード』以外、ペンギンのカタログにも載っていなかった。
しつこく男女の仲にたとえれば、電話番号を聞いておけばよかった、というところだろう。(本当をいうと、プローコシュの作品は、それから四、五年のあいだに何冊か集めることができた。今、数年ぶりで机の前に並べてみると、また猛烈に読み返したくなっている自分に気がつく)
そんなわけで、プローコシュは面白いよと人に勧めたくても、古本屋でなければ手に入らない状態が続いていたが、どういう風の吹きまわしか、ここにきて処女作のThe Asiaticsが再刊された。
題名は、アジア人たち、という程度の意味だ。プローコシュの小説はほとんどが主人公の遍歴物語だが、この第一作もそうで、アメリカの青年がアジア大陸を無銭旅行するあいだにいろいろな人物や出来事に遭遇する話である。出発点はベイルート、そこから東に向かい、インドに入って、最後には中国の国境の手前まで行く。
そのあいだに、恋もあれば冒険もあるのだが、プローコシュのことだから、能天気な観光物語(トラヴェローグ)には仕上げていない。つまり、例の「死」や「喪失」といったものが行間に忍び込んでくるのである。
くどくど説明するより、原文を引用したほうが話は早いかもしれない。The Asiaticsには、たとえば次のような文章がでてくるのだ。
The apricot trees stood empty of fruit in Damascus and the little streams were brown and sluggish with the autumn leaves that had fallen. The whole city seemed very quiet and very sad. The land we had passed outside the city were covered with locusts, the fields were desolate and spotted, the country roads were overgrown.
ダマスカスのアプリコットの樹々には果実がなく、秋の落ち葉にせき止められて小川は茶色によどんでいた。街はどこもひどく静かで、ひどく悲しげだった。私たちが通り過ぎてきた街の外の土地はイナゴの群れに覆われ、寄る辺ない畑は枯れ斑に染まり、街道には雑草が生い茂っていた。
前にいったように、プローコシュの文章は、読み易く、イメージの喚起力に富んでいる。このThe Asiaticsは、何と昭和十四年に『亜細亜人』という題名で翻訳が出ているそうだが、それを探すくらいなら、新版のペーパーバックを手に入れるほうが簡単だろう。私が、この本は素晴らしい、といっても、それは「仲人口(仲人が縁談をまとめるため、相手方の事を体よく取りなしていう話、多くは当てにならないことの意に使う・岩波国語辞典)」ではない。