4 Julian Symons, Criminal Practices
ミステリ評論家
ミステリ評論家と呼ばれる人はたくさんいる。実は、私もミステリ関係の仕事をしていて、翻訳家といわれることもあるし、ミステリ研究家と呼ばれたり、海外ミステリ評論家と呼ばれたりすることもある。
しかし、ミステリを題材にして評論を書くのはとてもむつかしい。一般には、一冊の本の筋書きを紹介し、面白いか面白くないかを判定するのがミステリ評論だと思われているようなふしもあるが、それは単なる「本の紹介」であって、評論とはいわない。しかも、評論にしろ、紹介にしろ、ミステリの場合は、少なくとも結末だけは明かしてはならないという制約があり、いざ書いてみると、一般の本の紹介より苦労するのだ。その昔、いわゆる普通の評論家がミステリを論じ、犯人をばらして読者の顰蹙をかったこともある。
世界じゅうを見渡して、「ミステリ評論家」という呼び名が一番ふさわしい人物は、イギリスのJulian Symons(ジュリアン・シモンズ)だろう。最近亡くなったので、だった、というべきかもしれないが。
シモンズは戦前に詩の評論家として文壇に登場した人物で、戦後すぐにミステリ作家兼評論家としての活動を始め、その後、五十年間、ずっと第一線で活躍してきた。Criminal Practices(『犯罪的実践』)は、シモンズの最後の著作で、この二十年のあいだに発表したミステリ関係の文章を一冊に集めたものである。
全体は四部に分かれ、第一部では、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズや、アガサ・クリスティ、アースキン・チルダーズ、マージェリー・アリンガム、P・D・ジェイムズ、ルース・レンデル、ジョン・ル・カレ、ディック・フランシスなど、イギリスの作家が論じられている。第二部では、エドガー・アラン・ポー、レイモンド・チャンドラー、パトリシア・ハイスミス、ロス・マクドナルドなど、アメリカの作家が論じられ、第三部では、ジョルジュ・シムノン(フランス)、アントン・チェーホフ(ロシア)というその他の国の作家が登場し、第四部には、リンドバーグの愛児誘拐事件など、英米で起こった実際の犯罪についての文章が収められている。
その文章の多くは書評として発表されたものだが、イギリスの書評のスタイルがどういうものかを知りたい人にも、それぞれが見本として参考になるだろう。つまり、雑誌に載る英米の書評は、分量が多くて、一冊の本の周辺を縦横に論じている。逆にいえば、よほどの見識がないと、それだけの分量を埋めることができないのである。
日本でもお馴染みのアガサ・クリスティについての文章は、全部で四本収められているが、その中の一本はクリスティの自伝の書評、もう一本はクリスティが亡くなったときに書かれた回想的追悼文、あとの一本は第三者によるクリスティ論の書評で、最後の一本はミステリ史におけるクリスティの位置を論じたものである。例として、その最後の一本の冒頭を引用しておこう。
Agatha Christie would have felt it both unnecessary and unpleasant to describe the physical details of a violent crime, or the mental agony suffered by a victim of rape. Nobody is ever raped in an Agatha Christie story. Her attitude would have been that one knows such things happen, but that were hardly suitable subjects for detective fiction. It was the plotting of crime that fascinated her, not its often unpleasant end, and it is as a constructor of plots that she stands supreme among modern crime writers. Raymond Chandler once said that plotting was a bore, a necessary piece of journeywork that had to be done, the actual writing was the thing that gave the author pleasure. Agatha Christie's feelings were almost the opposite of these, which is one reason why she didn't care for Chandler's work.
「アガサ・クリスティは、暴力的な犯罪の実態や、レイプの被害者の心理的な苦痛を細かく描写するのは不必要であり不快であると考えていた。アガサ・クリスティの作品で登場人物がレイプされたことは一度もない。そんな事件が起こるのは知っているが、探偵小説の題材としては似つかわしくない、というのが彼女の基本姿勢であった。彼女が魅せられていたものは犯罪のトリックであって、しばしば不快なものになる犯罪の結果ではない。そして、現代の犯罪作家の中で、クリスティは、トリックの案出者として群を抜いていた。かつて、レイモンド・チャンドラーは、トリックを考えるのは退屈であり、避けて通れない手間仕事にすぎず、作家というものは実際に書く行為によって喜びを感じる、といったことがある。アガサ・クリスティの実感はほぼその正反対であり、そんなこともあって彼女はチャンドラーの作品をあまり買っていなかった」(原文のplotting(筋を考えること、構想を立てること)という言葉は、ミステリの実情に即して「トリック」と訳した。「見事なトリックだ」というのを英語に訳せば、「excellent plotting」になる)
文章は論理的で分かりやすく、評論的な文章を読み慣れていない人でも素直に理解することができるだろう。近ごろ、クリスティは、文章が古めかしい、とか、文学的でない、とか、否定的な評価をされているが(その点に関してはシモンズも高く評価しているわけではない)、トリックの作り手としては抜群、といった具合に、評価すべきところはちゃんと評価している。チャンドラーとの比較も適切で、なかなか目配りが利いている。
小説家としてのシモンズは、若いころの作品が何冊か翻訳されているが、実は、晩年ほどいい作品を書いている。興味のある人は、Something Like a Love Affair(『恋に似たもの』Pan Books)という一九九二年の作品(もちろん、ミステリ)を読んでみるといいかもしれない。最初に書いたように、シモンズは最近(一九九四年)八十二歳で亡くなったが、その直前まで週刊誌に書評を書いていた。新刊書の書評は、「泥をかぶる仕事」といわれ、偉くなった評論家は手控える傾向があるが(少なくとも日本では)、地道に書評を書きつづけたことがシモンズの一番の偉業であるいえるかもしれない。