TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

宮脇孝雄


6 E.F.Benson, The Collected Ghost Stories


ghost storyの味わい


 今回、取り上げる作品は、いわゆるホラー小説に分類されるものである。この分野では、以前、ダン・シモンズの新しいホラー長編を取り上げたことがあるが、今回のものはちょっと古い。だいたい五十年から八十年くらい前の作品になる。

 その頃には、もちろん、いまでいう「ホラー小説」などという呼び名はなかった。普通は、ghost stories 、つまり「幽霊小説」と称されていたのである。イギリス人が幽霊好きの国民だというのは前にも触れたが、このghost storiesは、 十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけてイギリスでかなり流行した。現代の作家でも、よく探せば、かならずこの「幽霊小説」を書いているくらいだから、流行していた当時は、名のある作家なら二編や三編はghost story を書いたはずだ。たとえば、前回、話題にしたチャールズ・ディケンズにも「信号手(The Signalman )」という短いghost story があって、これはディケンズの短編の代表作として今でもよく読まれている。

 その時代、小説といえば長編小説のことであり、短編は雑誌の依頼があってはじめて書くケースが多かったのだが、雑誌社のほうは、読者が怪奇小説に興味を持っていることを知っていたので、よくその手の作品を依頼した。つまり、ghost storiesというのは、長編小説家の余技として成立していたので、ghost stories を専門にしている作家というのはあまりいなかったのである。『吸血鬼ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカーもこの時代の作家だが、彼にしても吸血鬼や幽霊の出てくる小説ばかり書いていたわけではない。

 イギリスの代表的なghost stories の書き手に、M・R・ジェイムズという人がいる。一九三六年に死んだこの作家は、めずらしく、生涯、幽霊の出てくる短編小説だけを書いた人である。しかし、この人は専業の作家ではなかった。本職は、(日本風にいうなら)某有名私立高校の校長先生で、隠し芸としてghost stories を書いていたのである(M・R・ジェイムズの小説は、みんな翻訳されているので、興味のある方は本屋で探していただきたい)。

 今回の本の題名は、The Collected Ghost Stories(『幽霊小説全集』)という。作者はE・F・ベンスンで、この人は一八六七年に生まれて、一九四〇年に亡くなっている。年齢も、先に挙げたM・R・ジェイムズより少し若く、ghost stories の系譜上では、M・R・ジェイムズの後継者とみなされている。ただし、ジェイムズと違い、ベンスンは小説家が本職で、十九世紀末から二十世紀の初めにかけておびただしい風俗小説を書いたが、皮肉なことに、今でも読まれているのは、余技として書いたghost stories のほうである(とはいえ、最近、様子が変わって、レトロ趣味で彼の風俗小説も再刊されるようになった)。

 ベンスンの幽霊小説は、おりおりに雑誌に掲載されて、読者の人気を集めた。ベンスン自身も、楽しんで幽霊ものを書いていたふしがある。書かれた作品は、順番に短編集にまとめられ、生前、幽霊小説の本は五冊出版された。ところが、もう何十年も前のことだから、その五冊の短編集は、読みたくても手に入らない状態になっていた。ベンスンの短編の代表作は、いろいろな傑作集に収録されているので簡単に読むことができるが(日本語で読めるものでいえば、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』に、「芋虫」という作品が、先のディケンズの「信号手」と一緒に収録されている)、ベンスンの幽霊小説をまとめて読みたいと思う読者には、困った状態が続いていたのだ。

 そんなときに出たのがこの『幽霊小説全集』である。ありがたいことに、ここにはベンスンが生涯に書いたghost stories が全部(五十四編)収録されている。

 これまでの説明でおわかりのように、今世紀の前半に活躍していた作家だから、今読むと、ちょっと古めかしいと思う人もいるかもしれない。しかし、面白いことに、怪談というのは、古ければ古いなりに味が出てくるものだ。小泉八雲の小説に出てくる耳なし芳一や雪女の話が、今読んでも面白いのと同じである。

 英語の文章は、日本語と違って、古い作品でも現代英語とさほど違いはないが、ややセンテンスが長めになっていたり、単語の使い方が変わっていたりする。ベンスンの場合にもそれはあてはまるが、文章自体、読みにくいわけではない。とにかく、例文を見ていただけば、一目瞭然だろう。次に引用するのは、'The Confession of Charles Linkwoth '(チャールズ・リンクワースの告白)という短編の書き出しの部分である。

 Dr.Teesdale had occasion to attend the condemned man once or twice during the weeks before his execution, and found him, as is often the case, when the last hope of life has vanished, quiet and perfectl y resigned to his fate, and not seeming to look forward with any dread to the morning that each hour that passed brought nearer and nearer. The bitterness of death appeared to be over for him: it was done with when he was told that his appeal was re fused.

 ティーズデイル博士は、死刑が執行される前の何週間かのあいだに、一、二度、その死刑囚と会う機会があったが、生きる望みが絶たれた人間の場合よくあるように、会ったときの印象では物静かにすっかり自分の運命を受け入れて、一時間ごとにだんだん近づいてくる当日の朝を迎えるにあたっても、恐れの感情はあまりないように見えた。控訴が棄却されたと聞かされたときから、彼にとって、死の恐怖はすでに通り過ぎていたようであった。

 現代の小説と比べて、たしかにセンテンスは長いが、じわじわと雰囲気を盛り上げてゆくには、こういう文体が適している。題名のチャールズ・リンクワースというのが、ここに出てくる死刑囚だが、この死刑囚がどんな恐るべき告白をするかは、ぜひ原文に当たって読んでいただきたい。

uoload 97/10/26


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