8 Clive James, Brrm! Brrm!
カズオ・イシグロよりリアル
日本の経済力を反映しているのか、この頃、日本人の登場する外国の小説をよく見かける。昔もそういう小説がなかったわけではない。一番有名なのは、イアン・フレミングのジェイムズ・ボンド・シリーズの一冊、『〇〇七は二度死ぬ』だろう。映画にもなったのでご存知だろうが、この小説では、高度成長が始まってしばらくたった頃の日本にジェイムズ・ボンドがやってきて、タイガー田中という日本の情報部員やキャッシー鈴木という海女さんと一緒に悪の組織と闘う。
フレミングの小説は、日本の風俗習慣を観察して、細かいところまで割合によく書けていたが、登場する日本人には、やっぱり変なところがあった。最近では、マイクル・クライトンの『ライジング・サン』というミステリが有名で、アメリカでベストセラーになり、日本でも翻訳がよく売れている。こちらは、アメリカを脅かす国になった日本企業のカリフォルニア支社が殺人事件の舞台になる、という話で、石黒さんとか、仲本さんとか、登場人物にもまともな名前がつけられているが、このビジネスマンたちは、妙にちょこまかとお辞儀ばかりしていて、やはりどこか違和感がある。
今回紹介する Brrm! Brrm! という本は、日本人が登場する最近のイギリス小説である。だが、ここに出てくる日本人は、脇役ではなく、あくまでも主人公なのである。つまり、最初から最後まで、その日本人の視点で物語が進められてゆく。
作者のクライヴ・ジェイムズは、あちらでは超有名なベテランで、風俗描写の確かさには定評がある。はっきりいえば、マイクル・クライトンより一枚も二枚も格が上の作家である。しかし、いくらなんでも、日本人を主人公にして小説を書くのは無謀ではないか、というのが読む前の正直な感想だった。
しかし、読んだあとの感想は、すごい! に変わった。クライヴ・ジェイムズの描いた日本人の主人公には、まったく違和感がない。しかも、日本関係の細かい描写はことごとく正確なのだ。どこで取材したのか、とにかくこれには脱帽した。
Brrm! Brrm! は、スズキ・アキラ(以後、鈴木くんと書く)という日本の若者の話である。鈴木くんは作家志望の青年で、いずれは小説や詩を書いて生活するつもりだが、今はロンドンのセントポール寺院のそばにある本屋で店長をやっている。ロンドンに来たのは、新宿駅から埼京線で一時間以上も離れたところにある実家の狭いアパートから逃げたかったせいだが、作家志望者にはこんな冒険心が必要だとも考えている。鈴木くんは、三島由紀夫のような世界的な作家になりたいのだ。そのために、大学時代(東大を出ている)、英語は猛勉強した。同級生が上野に出かけて花見で騒いでいるあいだも、青山のプレジデント・ホテルで臨時の通訳をやりながら英語力を磨いたのである。ただし、三島のようになりたいといっても、彼の小説が好きなわけではない。『仮面の告白』は傑作だが、ほかの小説はつまらないと思っている。新感覚派の小説も嫌いで、どちらかといえば平安時代の古典にひかれている。
鈴木くんが勤めているのは日本の本を売っている店で、経営者は日本人であり、客も日本人が多い。イギリスの専門家が高価な美術書を買ってゆくこともあるが、よく売れるのは航空便で取り寄せる雑誌のたぐいである。だから、店先の目立つところには、MoreやWithやClassyやJump Comicなどの雑誌の最新号が置いてある。鈴木くんも、Big Comic という漫画雑誌を愛読している。
鈴木くんは、ちょっと内気な性格で、同じ店に勤めている日本人の若い女性たちとも距離を置いて付き合っている。その部分を英語で引用すれば、次のようになる。
Two of the girls who worked with him behind the counter were quite pretty also. Despite his shyness, Suzuki had made friends with them. But he didn't unbutton much. One of the girls, Keiko, was married, and the other, Mitsuko, was too advanced. She openly disapproved of the subordinate position of women in Japanese life. Lately she had said the she did not want to go back to Osaka. Suzuki was interested in what she said, but did not want to get involved with her while she said it.
「一緒に働いている女店員のうちの二人は、かなりの美人だった。内気な鈴木くんも、その二人とは親しくなった。だが、打ち解けすぎることはなかった。女店員の一人、恵子さんは既婚者で、もう一人の美津子さんは考えが進みすぎていた。日本での従属的な女性の立場を公然と非難しているのだ。つい最近、美津子さんは、もう大阪には帰りたくない、といったことがある。鈴木くんは彼女の言葉に興味を持ったが、その話をしているときの美津子さんに深入りはしたくなかった」
冒険心があるのに内気で感受性が強い鈴木くんは、客として店にやってきた若いイギリス人の娘が、箱入りの本を箱から取り出そうとして(イギリスには箱に入った本はめったにない)まごついているのを見つけ、それがきっかけで親しくなる。すっとんきょうな(流行語でいえば、かなりアブナイ性格の)その娘は、自称ジャーナリストで、日本に関する記事を書いているという。その娘と付き合っているうちに、鈴木くんは、ロンドンのマスコミが右往左往するような大騒動に巻き込まれてゆく。
日本人を主人公に据えて、現代の混乱したイギリスを風刺的に描く、というのが作者の狙いだが、〈イギリス〉と対比させる〈日本〉が見事に描けているので、楽しい傑作ができあがった。ご承知のように、イギリスにはカズオ・イシグロという日系の作家がいるが、イシグロの描く日本人より、クライヴ・ジェイムズの描く日本人のほうがリアルなのはどういうわけだろう。
Brrm! Brrm! (ブルルン! ブルルン!)というのは奇妙な題名だが、これは作中に由来がある。鈴木くんと知り合ったイギリス人は、その名前をネタにして、みんな同じ冗談をいうのだ。「鈴木? ああ、オートバイと同じですね。スズキのオートバイ。ブルルン! ブルルン!」と。