浦島太郎 千五百年の孤独
家から家へ。島から島へ。浦から浦へ。ひとびとは住処をかえる。浦島自身がそうであるように、浦島でないひとびとも腰を落ち着ければ、次はみこしをあげることで、転地療法をはかる。そういったなかで、歴史的にいかに多くの家族が離散し、生き別れを生きてきたことか。
そしてひとびとは、一方ではノマドとしての英雄を口碑に語り、他方ではその物語を遠隔地にまで伝え広め、流布させる。
定住民は定住民とは出会うことがないが、ノマドは定住民と出会い、別のノマドとも出会う。おびただしい口承文芸は、ことごとくノマドの語りである。
結果として、ノマドの物語はかならずや定住民の心に放浪願望を植えつけるのであり、こうして歴史は決してノマド的英雄に事欠くことなく、物語は物語の欠乏に苦しむことなく、生き続けるのだ。
浦島伝説の民衆的起源について、ひとびとはそれを語ることに禁欲的であった。柳田国男などは、これはあくまでも「文学」であって、民衆的な説話ではない、少なくともそもそもそうではなかったと結論づけるタイプであったが、そもそものなりたちがどうであれ、浦島伝説が民衆的基盤に根を張る上で、何ら障害をもたない話であることは認めるしかない。
逆に「常世」について語り、「妣の国」について語り、「まれびと」について、「翁」について語ろうとした折口信夫のように、古代研究の上で、浦島説話を古代的想像力を解明する原点に位置づけることの方がはるかに自然なことであるように思う。
海辺であれば、どこにでも、浦島が老化変身し、壮絶な舞を舞った地点を見出そうと思えば見出しうる。そして、浦島が舞った舞は、だれであれ、それを再演することが可能である。そして、その場とは「常世」でも「妣の国」でもない、だれもが結局はモータルであるしかない場であり、しかも舞う老人は「まれびと」として受け入れられることのないまま、たださすらうのである。
中世の民間信仰は、まさにこのような浦島を、弱法師として語り、餓鬼阿弥として語ることによって、信仰の要を説くようになり、浦島をさえ衆生済度の明神として語るに至るのだが、説話そのものはとりたてて何を語ろうとするのでもない。
皇位継承者の追放であれ、亡命であれ、留学であれ、これを貴種流離の物語として語るもいい。一介の漁師が遭難した後に、奇蹟的に生き延びた話として語るもいい。
それよりも何よりも、浦島自身があまりにも寡黙に、彼自身は何ひとつ語らぬままに死んでいったこと、そのことが最も重要なのである。
浦島伝承を語るものは、あくまでも寓話として、これを語るしかない。
地縁とも血縁とも無縁な「空洞」として浦島がいる。この浦島を定義するには、彼をその浜辺につなぎとめるにふさわしい口実が必要なのであり、その口実として、数百年前の同じ浦島の旅立ちという物語が前提に用いられ、彼が数百年の時間を生き延びた場としての「常世=妣の国」が想定され、そうすることでようやく浦島太郎の謎は、定義可能な謎となる。でなければ浦島は、ただの舞踏家以外の何者でもない。浦島が「まれびと」として認知されるのは、後になってからのことなのだ。
そう、浦島の浜辺でのパフォーマンスは、日本の浜辺でのパフォーマンスではあったが、それは決して「日本的な」と形容できるようなパフォーマンスではなかった。彼はただ放心状態で、四肢を動かし、体躯をよじり、足で大地を踏み鳴らし、いかなる神事にも媚びることのない抽象的な舞踏を演じた。浦島は素性不明の謎の舞踏家であったが故に、文学の主人公たりえたのだ。
はたしてその身振りは、彼が生まれ育った土地の身体言語に則したものであったのか、それとも成人してから全身を用いて性行為にはげんだ時代の記憶を深く刻みこんだ性行為の再現なのか。そこがまずわからない。
しかし、これこそが「まれびと」の最も原型的な姿なのである。
「まれびと」のための席は、決してそもそものはじめから来るべき「まれびと」のために用意されていたのではない。
得体の知れないなにものかの身体演技との遭遇。
それは、かつてやはり浦島太郎のようにして、浜辺でひそかに舞ったかもしれない遠い遠い祖先みずからの忘れ去られた映像の回帰でもある。
なぜこんなことを言うのかというと、私は宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』を読むうちに、私は人間の残した手拭のまわりで、鹿らしく舞う鹿たちの踊りの先に、ただ「いぎもの」だか「毒蕈」だか「口発破」だか判らないしろものとして横たわっていた手拭の「まれびと」性を考えないではおれなくなったのだ。
異類と関わること。それはまず異人類の所作に驚くことからはじまる。
浦島伝説が「まれびと」をめぐる説話であるとして、それは決して、彼が「常世」での性的修業を積んだ結果としての新帰朝者的「まれびと」性を演じたからそうなのではない。彼こそがまず「まれびと」であった。そして、その「まれびと」を日本の誰ひとりとして、正しく迎えることができないまま、彼は去った。ただ骸と化しただけかもしれないが、いずれにせよ、彼から何も聞き出しえないまま、ひとびとはその無言を記憶の中で耐えていくしかなかった。
そして、浦島はそのあとひょっとしたら玉手箱を残したかもしれない。空っぽの箱を。ひとびとは浦島の遺品であり、忘れ物である玉手箱に、おそらく浦島の素性について以上に関心を抱くだろう。『鹿踊りのはじまり』の栃団子がそうであるように。
そしてその内容物が何であったか? ひとはそう問わないではおれないだろう。
浦島伝承の民衆的起源は、この謎の存在と謎の物体に関する人間の初歩的な疑問にあると考えなければならない。この問いこそ、浜辺で生活を営むひとびとにとってこそ切実な問いであって、朝廷に仕える宮廷歌人や詩人たちにはほとんど無縁な問いなのである。
コロンブスとアメリカ先住民の遭遇。難民船と漁船の遭遇。民衆文学は、まさにこうした遭遇を語って、その遭遇の背後に異文化を見るのである。異文化を恐れつつも、異文化に敬意を表しながら。
折口信夫の『国文学の発生』をどう書き換えるか?
そのとき、浦島伝説が大きなヒントを与えてくれると私は確信している。