海辺に住む男の失踪・帰還・落胆――この特異ではあっても、同時に普遍性を含んだ一漂泊者のドラマが、いかにして実体としての「歴史」の一部となり、あるいはより壮大な抽象的「神話」を構成する大文字の物語へと変容していくのか?
日本文学における「浦島」説話の系譜は、この問いに対して数々の可能な解答方法を提供してくれる。
本来、クレオール文学であるはずのものが、いつのまにかクレオール的発展を阻止され、国民文学の内側に回収される。そのプロセスが、まずは『日本書紀』の中にみえる。
八世紀初頭に編まれた『日本書紀』は、雄略帝の即位二二年目の「秋七月」のできごととして、「余社郡」から仙界へと旅立った「浦嶋子」のことを唐突に語ったまま、この男のその後を宙に吊ってしまう――「語在別巻」というふうに。
従来の歴史研究者・文学研究者は、「別巻」が散逸している以上、それ以上の詮索は無用ときめこんで、たとえば『万葉集』や『丹後国風土記逸文』の「浦嶋子」伝説で、その欠落を埋め合わせようとするのだが、『日本書紀』の内的整合性を考えるなら、あたかも単なるバグ(もしくはノイズ)のように挿入されただけで、そのまま歴史的記憶の外部に追放されてしまった「浦嶋子」の浮遊性こそ、それじたいを問うべきではないだろうか。
雄略帝は『日本書紀』に拠るかぎり、かなりの暴君であったらしい。幼少時から皇位継承者を殺めたり、あちこちの女に手を出したり、シェークスピアならば喜んで芝居にしたにちがいない記紀の中でも名うての「英雄」だったようである。
じつは、『雄略紀』の前後を読んでみると、「浦嶋子」の入仙と無縁でないような記事が見える。
穴穂天皇[=雄略先代の安康天皇]三年十月、天皇[=弘計王、後の顕宗天皇]父、市辺押磐皇子、及、帳内佐伯部仲子、於蚊屋野、為大泊瀬天皇、見殺[=殺サル]。因、埋同穴。
於是、天皇、與、億計王[=市辺押磐皇子の長子、弘計王の兄、後の仁賢天皇]、聞父見射、恐懼、皆逃亡、自匿。
帳内-日下部連-使主、與、吾田彦、窃[=ヒソカニ]、奉天皇、與、億計王、避難於丹波国余社郡。(「顕宗紀」)
ここで余社郡に難を逃れた弘計王[=ヲケノミコ]と億計王[=オケノミコ]の兄弟は、雄略帝の暴政に対して怨恨をいだく「亡命者」として、その後、播磨の国を経て、三十余年間潜伏した後、ついに復権、清寧天皇を継ぎ、はれて皇位につくことになる。しかも弘計王の幼名は「嶋稚子」[=シマノワクゴ]であったというから、丹波国余社郡を通過した二人の「嶋子」のあいだに、何らかの縁、もしくは混同があったとしてもおかしくはない。「浦嶋子」は「嶋稚子」の影武者のような存在なのだ。
貴種流離。権力抗争の中で、無数の失脚者・亡命者・復讐者のドラマが「歴史」なら、少なくとも「嶋稚子」の復活と同じく、「浦嶋子」にも復活が期待されるはず。『日本書紀』に書き込まれた以上、その復活は暗黙のうちに「日本史」の未来へと開かれていく。
あるいは、こともなげに雄略天皇の「正統」をあかすかのようにして、「浦嶋子」の伝説を曲解した『神皇正統記』のような作品も後には生まれる――
二十一年丁巳冬十月に、伊勢の皇太神大和姫の命にをしへて、丹波国與佐の魚井の原よりして豊受の太神を迎え奉らる。大和姫の命奏聞し給しによりて、明年戊午の秋七月に勅使をさしてむかへたてまつる。九月に度会の郡山田の原の新宮にしづまり給。
ここではまるで「浦嶋子」が「大和姫」(=天照大神)のエスコート役であったかのような連想が、『日本書紀』がらみで肥大している。
開かれた史書としての『日本書紀』――それは時間を超えて、はじめて完結するような無数の後日譚を可能性として残すことで、「未来」をも射程に収めようと貪欲に模索するテキストなのだ。
陰神、乃先唱、曰――妍哉、可愛少男歟。
陽神、後和、之曰――妍哉、可愛少女歟。
遂為夫婦、先、生蛭児。便、載葦船、而流之。
次、生淡洲。此亦、不以充児数。(「神代上」)
イザナギ・イザナミの男女二神が、未熟児二体を水に流す場面だが、これを私たちは、「蛭児」「淡洲」二神の「亡命」もしくは「放生」の物語として読む権利がある。『日本書紀』はその可能性と権利を開くために残された文字文献だから。
「史書」は「擬史」に向かって開かれ、そうすることで「擬史」を差別しながらも、みずから「擬史」にも近づいていく。
十八世紀の英国で書かれた『ロビンソン・クルーソー』は、架空の英雄が無人島ですごした三十年間を描きながら、清教徒革命後の反革命期を生き延びた一亡命者の物語としてこれを提示している。
一六三二年に生まれ、、一六五一年に父の反対をおしきって、海に出たロビンソンは、八年後の一六五九年、嵐に飲まれて遭難。その彼が再び英国の土を踏むのが、一六八七年のことである。亡命者の物語はこのようにして完成をみる。
しかし、完成しないまま宙ぶらりんにおいておかれるのも、また亡命者の物語である。歴史はなんとかして亡命者を回収しようとはするが、いつもそうとはかぎらない。
「浦嶋子」の場合のように、追放されたものたちの物語を敢えて回収しないことによって、「史書」を穴だらけの開放的なものにかえていくこと。これもまた「歴史」という高度に政治的な物語からの要請だ。
蛭児・淡洲の変、浦島子の変を未然に防ごうとするのが「歴史」なら、その万が一の事態にも対応できるよう態勢を整えるのも「歴史」――「過去」をだけ語ることで「未来」をまで先取りしないのが「歴史」なら、「未来」を確たる目的もなく、それでもふしぎにちらつかせるのが、これまた「歴史」――なのである。