国境と文学

浦島太郎 千五百年の孤独

西 成彦

第3回

充実する空虚

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 『記紀』は天孫降臨から歴代天皇の巡幸や遷都や軍事的文化的人員の派遣まで、東西南北・内外のあいだの人間の移動を語って、飽きることがない。無数の原テクストのパッチワークとしかいいようのない全体の中で、合わないはずの辻褄がむりやり合わされ、それでも綻ぶことをくりかえしながら、網の目・蜘蛛の巣状に継ぎあわされたテクスト。そして、それが日本最古の作文芸術として、日本的系譜学の聖典となるのである。

 系譜学とは空間的・時間的に線分をひくことにあり、それは決して一本の流れではない。線分の継ぎあわせ、よりあわせ、編みこみなのだ。そして、その網の目を搦め手に用いて共同体の時間的・空間的境界を画定しようと試みるのが、日本最古の物語的権力の発現なのであった。

 網の目の結び目に、固有名を与えられた歴史上の人物がおり、同じく固有名を与えられた場所がある。その蜘蛛の巣状の網の目の中で、「浦嶋子」とはだれであったのか? 一介の漁民のひとりが「浦嶋子」であったことをだれでもが知っていたし知っているはずなのだが、「浦嶋子」は一介の漁民では終わり得なくなる。彼を陥れた数奇な運命が彼をそうでなくしたのではなく、まさに『記紀』という装置が彼を選ばれた固有名の中に封じこめた。

 物語は、そこでは定義の数を増やすことによって、真実らしさを失うどころか、かえって補強する。さらに、歴史上の人物として認定された存在は、その遍在性によって、アリバイを失ってしまうどころか、かえってその権能を主張する。『記紀』から『風土記』『万葉集』まで八世紀初頭日本の諸文献は、まさにその「多重性」「偏在性」をもって語ることの中に、歴史記述の魔術的作用を追い求めたのだ。

 漁撈にたずさわる成人男子の移動性・遍在性と系譜学的古代英雄の移動性・遍在性。この二つの移動性・遍在性は本来異質なはずである。ところが、一旦、『記紀』に名前を呼び出されてしまった存在は、その異質性を内包したまま、二重の移動性・遍在性を背負うしかなくなってしまう。

 浦島伝説は、民間伝承か、それとも中国趣味の作文芸術・王朝説話なのか? これまでの研究は、この問いに答えを出していない。しかし、この種の伝説の起源を求めることはたぶんむなしい。そういったむなしさを克服するには、まさに『記紀』という作文芸術が派生的にもたらした諸効果のひとつとしての二重性をこそ、史実として記憶にとどめるべきではないだろうか。

 『雄略紀』に一旦名を留めてしまったがために、新たな定義とモチーフを生きることを「死後に/事後に」余儀なくされてしまった存在の物語として『丹後国風土記逸文』を読み、そこでの「風流人浦嶋子」の権威化をとらえること。

 その中で「日下部首等先祖」として位置づけられた「浦嶋子」は、一躍「日下部氏」の系譜学的発展に大きく奉仕することになる。そして、それは続いて、『記紀』に書き残された雄略帝と日下部氏のあいだの過去の姻戚関係をめぐる文章化された記憶を芋蔓式に呼び覚ます。

 そして『丹後国風土記逸文』を経由して、ふたたび『記紀』に送り返された「浦嶋子」をめぐる系譜学的探究は、「日下部」を参照記号とすることで、こんどは『雄略紀』から『開化紀』『崇神紀』へと向かうことになる。

 崇神帝の四道将軍派遣をめぐる伝説において、崇神帝の命令を受けて丹波の国に派遣された「丹波道主命」は崇神帝とは開化天皇を父とする異母兄弟である。しかも、これに『開化紀』を併せ読むと、同じ丹波国から輿入れした竹野比売の産んだ子、彦湯産隅命とも彼は異母兄弟であることになる。すなわち、開化・崇神期における朝廷と丹波国(後に丹波と丹後に分裂)との対決・懐柔・共存のプロセス――政略的・軍事的人間の移動――と無縁ではなかった一党の記憶を背負って、後の雄略帝の時代に「浦嶋子」は選ばれて蓬莱国に向かったことになるのである。

 さしたる過去を持たなかったはずの存在が、時代とともに、過去を背負わされ、伝説的人物として肥大していくさまを、「浦嶋子」ほど極端な形で体現した存在も少ない。

 『丹後国風土記逸文』をもうすこし見ておくと、蓬莱世界から帰国した後、彼は涙に咽びながら、「神女」(いわゆる乙姫)とのあいだに歌を詠み交わしたことになっている。

 とこよべに くもたちわたる みずのえの うらしまのこが こともちわたる

 (常世の世界に雲がたなびき、水之江の浦嶋子のことばを伝える)

 ところが、この歌に応答した「神女」の歌は、『仁徳記』に引かれた吉備国の黒比売の歌のパロディなのである。

 やまとべに にし(=西風)ふきあげて くもはなれ そきをりとも われわすれめや (『仁徳記』)

 (やまとの方へ西風がふいて雲がちぎれ遠ざかっていこうとも私は忘れない)

 やまとべに かぜふきあげて くもはなれ そきをりともよ わをわすらすな

 (『丹後国風土記逸文』)

 蓬莱世界も吉備国も「やまと」からすれば西国にほかならないが、こうして神仙説話と「古事」とは重ね合わされる。

 『記紀』と『風土記』の共犯関係は、それはテキスト相互の共犯性ばかりでなく、後の系譜学的探究に可能な限り、参照符号を配し、同時代はもとより、後世のひとびとに対して、あくことのない系譜学熱においつめたことにあった。そして、『雄略紀』においてあまりにも唐突に、系譜学的言及ぬきに登場した「浦嶋子」は、その系譜学的空虚さゆえに、選ばれて系譜学的に充実していくのである。

 文字文学は、つねに安定したデータベースとしての機能を果たしつつ、わずかずつヴァージョンアップを重ねられていく一個の蜘蛛の巣だ。しかし、その充実しているはずの蜘蛛の巣の中で、空虚な記号として表示された固有名こそが、時には「神」と見紛うばかりの変幻自在さで、英雄的に肥大しながら、複数の生と、無限の生を獲得し、要するに、ゾンビ化して生き長らえるのである。

 私が「浦嶋子」にこだわりたいのは、彼がたどった運命に同情し、羨望するからではない。文字文芸の中で、彼に与えられた例外的な空虚さに対して、驚きを禁じ得ないからである。空虚に生きることが、歴史的多重性にそのままつながっていってしまう。「浦嶋子」の空虚さこそが、『記紀』という一見充実したテキスト群の中にあって、きわめて文学としての『記紀』に内在する戦略性の刻印を強く帯びた例外的存在だったのではないか。

 私たちは「浦嶋子」伝説を読むように、『記紀』の全体を空虚な記号の錯綜するテキストと読み返すことはできないか。

(第3回了) 
Upload Dec.17 1997

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