『日本書紀』『丹後国風土記逸文』と平行して、八世紀平城京で書き留められた浦嶋伝説のもうひとつに、『万葉集』「巻九」に収められた「水江の浦の島子を詠む一首并せて短歌」がある。
日本の詩歌文化の中で「旅」が持った意味の大きさは誰もが認めるところだ。なかでも「巻九」においては、「旅先でのかりそめの恋」こそが日本的詩情の源泉として位置づけられている。
夕されば 小倉の山に 伏す鹿し
今夜(こよい)は鳴かず 寐(い)ねにけらしも
雄略帝の作とも舎予明帝の作とも言われる古代的な性表現の歌から始めて、旅立つ男と、それを見送った女とのあいだの対偶歌として、次の二首がつづく。
妹がため 我れ玉拾ふ 沖辺なる
玉寄せ持ち来 沖つ白波
朝霧に 濡れにし衣 干さずして
ひとりか君が 山道越ゆらむ
旅路にあるものの性欲。旅立たれたものの性欲。もっぱらこの主題のために捧げられた「巻九」の中に「水江の浦の島子を詠む一首并せて短歌」は置かれている。
我が恋ふる 妹は逢はさず 玉の浦に
衣片敷き ひとりかも寝む
玉櫛笥(たまくしげ) 明けまく惜しき あたら夜を
衣手離(か)れて ひとりかも寝む
柿本人麻呂作の直截な「ひとり寝」の歌も「巻九」の中にある。
歴史ではなく、まさに瞬時瞬時の性欲を詠う歌形式の中に、ここでいきなり浦の島子をめぐる伝承が呼び覚まされるのである。
春の日の 霞める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出で居て 釣舟の とをら
ふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる(……)
人麻呂の同時代人として、名声をはせた高橋虫麻呂は、みずからの性欲を、伝説中の浦の島子の性欲に重ねあわせながら、ことば豊かに語り詠う。
(……)水江の 浦の島子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて
海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の娘子(を
とめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び
常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさは
り ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるもの
を(……)
虫麻呂は、みずからの性欲を持て余しながら「不老不死」の「常世」を夢見るのである。
虫麻呂の酒池肉林願望は、同じ「巻九」に収められた「筑波山に登る歌一首并せて短歌」および「筑波嶺に登りてかがひを為る日に作る歌一首并せて短歌」には、いっそう露骨に表出されている。
草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花
散る 師付(しつく)の田居(たい)に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(に
ひばり)の 鳥羽の淡海(あふみ=「沼」か?)も 秋風に 白波立ちぬ 筑
波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ
反歌
筑波嶺の 裾廻(すそみ)の田居に 秋田刈る
妹がり遣らむ 黄葉(もみち)手折らな
メランコリーを癒すには、異性を身近に引き寄せる以外にない。虫麻呂式「もみぢがり」の古代的風流である。
鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)
ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ かがふ耀歌(かがひ)に 人
妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言(こと)とへ この山を うしはく神
の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとが
むな
反歌
男神(ひこかみ)の 雲立ち上り しぐれ降り
濡れ通るとも 我れ帰らめや
「巻九」における虫麻呂長歌のボルテージの高さは圧倒的である。これでは人麻呂にして及ぶところではない。そして、「巻九」は、後に漱石が「オフェーリア」を連想しながら、『草枕』の中で参照する莵原娘子(うなひおとめ)伝説を虫麻呂流に詠った長歌と短歌で締めくくられる。
莵原壮士(うなひをとこ)と茅渟壮士(ちぬをとこ)の二人に懸想されて、身投げをした伝説の女性の墓標を眺めながら、虫麻呂は最後にこう結んでいる。
葦屋(あしのや)の 莵原娘子の 奥城(おくつき)を
行き来と見れば 哭(ね)のみし泣かゆ
墓の上の 木の枝(このえ)靡けり 聞きしごと
茅渟壮士にし 寄りにけらしも
国中の恋の諸相に仮託して、男の性欲を詠い歩いた虫麻呂の作歌遍歴の中に、浦の島子の伝説は、すぽっと納まって、『万葉集』「巻九」全巻を埋める性の謳歌・性の追想の核心を担っているのである。
『日本書紀』『風土記』説話群の政治性に対して、『万葉集』の描いた浦島は、文字通り「草枕」をモットーとする男性詩人の妄想に委ねられた一悲劇の英雄なのである。
(中略)この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し
開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び
袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若く
ありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて
後つひに 命死にける 水江の 浦の島子が 家ところ見ゆ
反歌
常世辺に 住むべきものを 剣太刀
己(な)が心から おそやこの君
――「なんとも愚鈍な男である」というわけだ。
民話収集家の性欲。高橋虫麻呂から『草枕』の画工まで、彼ら旅する芸術家は、持て余す性欲を行きずりの女性に預け、あるいは伝説中の男女のそれぞれに託し、みずからの性生活をふりかえっては、戒め、あるいは桃源郷を夢見る。
日本版「オシーン」というより、日本版「トリスタンとイゾルデ」とも呼ぶべき浦の島子の伝説は、高橋虫麻呂的ロマン主義の中で、日本移動文学の初期遺産のひとつとなった。
歴史と伝説の分断。政治と性の分断。八世紀日本文学の成長期に、浦島太郎は、その日本文学の実験に図らずも立ち会うことになった。
亡命者の性、密航者の性。性と政治のはざまにあって、浦島の孤独は今日の私たちの中にまで受け継がれている。
史書は時として政治的弱者としての浦島の過去を想起することを私たちに促し、また越境者の文学は性的落伍者としての浦島の過去を通して、移動中の私たちの性欲を呼び覚ましてやまない。