国境と文学

浦島太郎 千五百年の孤独

西 成彦

第6回

同一性と不死性

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 永劫回帰。所詮モータルにすぎない人間が仙人を語るとき、その不滅性を語るとき、もはや仙人の同一性、アイデンティティーは問題にしなくなる。仙人は何百年たっても仙人でありつづけ、人間はそんな仙人にあこがれる。

 雄略帝の時代以降、大陸の神仙思想にかぶれはじめたと言われるヤマトにあって、誰よりも仙人であろうとしたのは権力闘争の中心にあったものたちであったろう。「神人」としてのみずからの地位を固めるため。あるいは、逆に、その可能性を奪われたライバルがいつの日か復讐を果たすまでの潜伏期間を生き延びるため。

 しかし「仙人」になる術は権力者の手元にはない。それはつねに国土の外にしかないのだ。

 そこで権力者はその秘法を学ぶべく使者を遣わす。秦の始皇帝が徐福を東に送ったように、日本の大君は大陸に、あるいは列島の辺境に遠征の使者を遣わすたびに、みずからの延命を期した。

 神仙思想とは、権力にまつわるパラノイアックな欲望の産物であり、これが広義の植民地主義と密接に結びつく思想であったことはまちがいない。

 はたして地上の権力を掌中に納めたまま、不滅性を手に入れることは可能なのだろうか。

 雄略帝の抱えた問題をたとえばそうとらえてみる。

 宣長以来、天皇の「神人」性を問う中で問題視されてきた雄略記・雄略紀の葛城山伝説は、まさにこの問題を前にした雄略帝の戸惑いをあらわしている。

 葛城山で狩猟の途中、雄略帝はみずからにそっくりな登山者に出くわす。そこで「この倭の国に吾を除きてまた王は無きを、いま誰人かかくて行く」と問うと、相手も鸚鵡返しに同じことを言う。こうして両者は一触即発の臨戦態勢に立つのだが、相手が「吾は(……)葛城の一事主の大神なり」と名を告げて、武装は解かれ、雄略帝は伴のものの衣服を脱がせて、刀や弓とともに一事主神に献納。帰りは一事主神に麓まで送られて帰還――これが古事記。和解後、共に鹿を追って狩りを楽しみ、同じく見送られたというのが日本書紀。要するに、雄略帝はここに「神人」と自分自身の対等・互角を証明した格好になる。日本書紀では一事主神を形容して「言詞恭恪、逢仙の若く有り」とさえあって、これは確実に、神仙思想の形式でもってふりかえった神話の典型となっている。

 神仙思想に踊らされる存在としての天皇たち。

 しかし、『竹取物語』の中に戯画化された「帝」とやらは、同じく滑稽なふるまいでかぐや姫との果たされなかった恋を埋め合わせる。

 漢籍の『抱朴子』にある分類によれば、仙人世界に関わるものの中には三種類あって、ひとつは「天仙」(=仙界に生まれ育ち永遠を生きるもの)、第二は「地仙」(=地上に生まれながら仙界を訪れ、豪遊するもの)、第三を「尸解仙」(=死後、に死骸から抜け出して、仙界に入滅するもの)と呼ぶらしい。

 天上世界を追放されてきた「天仙」としてのかぐや姫は、地上の貴族、そして帝から求婚を受けるが、彼女は不死の薬を残して天上に去る。ところが、不治の薬は帝の命令によって富士山で焼かれる。帝はもはや世俗的権力を維持するためには、不老不死を求める欲望を押し殺さなければならない。それは諦念というよりは、むしろ不死の薬が地上での権力闘争を、薬物獲得競争にかえてしまうことに対する警戒心だったのかもしれない(『岩波講座・日本文学史』第二巻所収の小島菜温子「歌物語と作り物語」は刺激的な「竹取」解釈を行っている)。

 高橋虫麻呂に言わせれば、これは「地仙」として不死の世界に渡りながら、地上に戻って、みすみす仙人として生きる機会を逸した島子の愚かさにもまさる愚行であるということになろう。しかし、地上の権力は、不滅性を身につけようとする野心を捨ててまで、手中の権力にしがみつかなければならない。

 永遠の生命と権力を夢見る代わりに、世代交代をくりかえしながら、ライバルを蹴落とし、権力の安定をはかりつづけることが、地上権力を手中にしたものに与えられた最大の課題であった。

 雄略帝と一事主神の関係は、世俗権力の掌握者と、宗教的信仰の対象との分離を意味し、たぶん雄略帝と浦嶋子の関係も、皇位継承者と「地仙」の分離を意味した。仮にその浦嶋子が帰国したとしても、あとは再び「尸解仙」たるべく、肉体を捨て、それこそ日本武尊のように白鳥にでもなって地上から旅立つしかない。

 地上での同一性と不滅性はけっして相容れないのだ。

 同一性にしがみつく権力者と、同一性を求める欲望から解放された不老不死の存在の対比。

 浦島の抱えた矛盾は、古代王権の所有者たちの抱えた矛盾のパロディーであり、それを笑う高橋虫麻呂は、同一性を根拠とする地上での諸権利にしがみつくひとびとすべてを笑ったのだ。

 同じ高橋虫麻呂なら、頼朝との権力闘争に敗れ、仙人世界に去ったはずの義経が再度玄界灘を越えて来襲したという話を耳にしたなら、同じく「おそやこの君」と笑ったことであろう。

 権力と文学の分離。記紀の中では笑うことなどできるはずのなかった諸帝の世俗的願望を、島子を笑うことによって、代わりに笑うこと。高橋虫麻呂のこのアイロニーが、ひょっとしたら『竹取物語』を経て、漱石の低徊趣味あたりにまで引きずられていった系譜を考えてみること。


(第6回了) 
Upload Mar.27 1998

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