静岡は日本平の中腹に、今年開設されたばかりの舞台芸術公園。野外劇場と屋内ホール、それに稽古場棟や研修宿泊棟が、緑濃い森の斜面にすっぽりと包まれている。夕方ともなると周囲の森の暗さに、空がかえって明るく見えるほどだ。
冷え込みも厳しくなり、茶畑の花も名残のこの季節に、人里を離れたこの公園の一隅で、ひとつの静かな冒険がくりひろげられている。フランスの振付家ジャン=クロード・ガロッタが八人の東洋人ダンサーを相手に、一二月の公演の準備を進めているのだ。
ガロッタは八〇年代から「グループ・エミール・デュボワ」を率いて活躍する、フランスのモダン・ダンス界の第一人者だ。本拠地のグルノーブル市文化会館の館長でもある。そのかれが今年から三年間、静岡県舞台芸術センターの招きで、ここに創設された専属舞踊団「SPACダンス」の芸術監督としてやってきた。
実はここを訪れるのは二度目になる。八月から九月にかけて行われたSPAC創立記念公演のときが最初だった。このセンターの総監督である鈴木忠志の『リア王』や、ギリシアのテルゾプロスによる『アンティゴネ』と並んで、そのときガロッタの『かわったDr.ラビュス』も上演された。
会場は丘の斜面に沿って森に開けた野外劇場「有度」だった。四組のそれぞれに個性的なカップルが、四つの違った愛の形を表現する。三組目のダンスの途中あたりから雨が降り始め、四組目の小柄な少女が丸坊主の大柄な若者とユーモラスでパンチのきいた踊りを見せるあたりでは、ステージがぬれてダンサーの足もすべりがちになる。雨足も強くなって、いつ中断されてもおかしくない状況だった。けれども物言わぬダンサーたちは踊り続ける。観客も腰を上げない。そして結局、かれらが踊り終わったころには雨も小降りになり、万雷の拍手がこの悪条件を思わぬ幸運に変えてしまった。
そのときあいさつに出てきたガロッタは、日本での初めての制作の成果にいかにも満足そうだった。グルノーブルにはヨーロッパ各地からダンサーが集まるが、言葉も通じないところで日本人ダンサーたちと作品を作るのは、それとはまったく違った経験だろう。
いまかれは、この閑静な恵まれた環境のなかで、新しく選んだ八人のダンサーたちと、次回作品『ママーム』に取り組んでいる。公演も一週間後に迫った一二月上旬、その稽古場を訪れてみた。
こんどは屋内ホールの「楕円堂」が会場だ。四方を見渡せる一階から、舞台のある階下に降りて行く。客席一二〇ばかりの小さな空間、そこで仕上げの稽古が続いている。
ガロッタの指示でダンサーの動きが直され、照明が細かく調整される。フランス語を多少話すダンサーもいるようだが、通訳の女性がつきっきりだ。それにこんどは韓国人のダンサーもいる。だが、これが外国人の振付師による国際的な稽古だという特別の気配はない。それほど自然な稽古風景だ。
父や母を知らない戦争孤児たちが、忘れ去られた砂漠へ逃れ、そこに自分たちの世界を作る、というのが作品のモチーフである。これはガロッタの八〇年代の代表作といわれている。ということは旧作だが、それがまったく新しい作品になるはずだ。場所と踊り手が変わるだけではない。その踊り手によって作品そのものが変わる仕掛けがそこにはある。
言葉をもたない子供たちが、身体的記憶をたどりながら自分たちの世界を作り出すというのは、身体表現であるダンスそのものの営みでもある。ガロッタがオーディションで選ぶダンサーは、標準的に優秀なダンサーというわけではない。背の高さもまちまちなら、体の動きも、持ち味も風貌もまちまちだ。不ぞろいといってもいい。それをこの振付家は、ある定まった様式のなかに流し込むのではない。作品の骨格となる構成や、基本的な運動の造形、それに振付はあるものの、言葉のない子供として自分の身体的記憶をたどり、それを見える形にするのはダンサーたち自身なのだ。言いかえれば、素材が自分を表現する。そのようにして表現される個々別々の形を、ガロッタはアレンジしながらひとつのアンサンブルへと作り上げてゆく。
その方法的特徴はピナ・パウシュにも共通するが、振付家や演出家はどうやら、一時期の神のような全能者の立場から、素材を生かす器あるいは素材の生きる場の磁気の発信者のような立場へと身を移している。だからこそ、その磁場のなかで、多様な素材(ダンサー)が多様なままに生かされることになる。「創作」という作業のあり方がここでも変化を見せているようだ。