宮古島は沖縄の南西二五〇キロほどのところにある。石垣島の手前で、広く見れば沖縄本島と台湾のほぼ中間に位置している。しばらく前まで那覇経由でしか行けなかったが、今では東京や大阪から毎日直行便が通っている。
ミヤコという名をもつこの島は、歴史的な地域関係の構造からいえば、東アジアの果てにあると言ってもいい。この地域は、仏教の影響が人びとの生活にまで及ばなかったところで、最近にいたるまで自然信仰が強く残っていた。
政治的にみても、中国や日本の支配下にあった琉球王府のそのまた支配を受けてきた。この地理政治的な段階構造は、西欧からきた近代化の波及する段階でもあって、そのステップの末端にあったがゆえに、ここでは固有の生活習慣が長く崩れず保たれてきた。
人口五万弱のこの島に、しばらく前までは五百人の神女がいた。海の中に孤立した島だからこそ、そこがひとつの自足した宇宙となり、人の生き死にも生活のすべても、ここだけで包み込めるような世界観が生まれた。それが教義や制度として確立されるのではなく、日々の生活の中で受け継がれた祭祀を通して生きられるのだ。
島はいつも海に開かれている。訪れるものはマレビトとして迎えられる。だがまた、よそと切り離されてもここだけで世界は成立する。亜熱帯の森や浜辺、珊瑚礁で色分けされた海、そして空が、この世界の区分けやこの世とあの世との分割を、そのまま空間的に描き出している。
沖縄のノロは首里王府の支配秩序に組み込まれていたが、王権から遠い宮古の神女は自然の神々とじかに結びついている。島には寺院や教会はない。その代わり、あちこちの森にはウタキ(御嶽)という霊所がある。そこは祭のたびに神女たちが神々と交わる聖なる場所だ。
だが宮古にはひとつだけ寺がある。かつて薩摩藩が支配の象徴として配した臨済宗の祥雲寺だ。もちろん今では寺の意味はまったく変わっている。仏教のないこの島では、寺や仏僧の役割は、僧自身が発明しなければならない。
岡本恵昭さんはこの寺の住職だ。かつて京都に学び、「アメリカ世」から「ヤマト世」への復帰も経験して、島の生活の変化や祭祀のなりゆきをつぶさに見守ってきた。
岡本さんによれば、ウタキの神々は共同体の神だが、仏教は個人の信仰である。またウタキは聖なる場所だが、仏教は人間の不浄の部分にかかわる。つまり死にまつわる不浄や個人の不安は、仏の力によって救われるのだ。だから岡本さんは神女たちの相談相手にもなる。
神に仕える神女が不安を抱くのは、いまこの島で神々が死に瀕しているからだ。直行便が入るということは、生活は便利になるが、世界を一律に平準化してゆく「世界化」の波が、この離島にもじかに及ぶということだ。
産業化によって農業も漁業も、自然の恵みをタマワル(魂を分ける)といった意味を失って単なる労働になる。それに職業の分化で、この海国でさえ人は魚をスーパーマーケットで買うようになる。機械の導入や電化で生活のレベルは上がるが、そのために借金も増え、村人は島の内外に出稼ぎにゆく。その一方で、島には開発の土木工事が興される。
こうして自給自足の生活はくずれ、家族の個人主義化ともあいまって、共同の祭祀はその基盤を失ってゆく。以前は村から自然に生まれてきた神女も、今では欠員が増え、祭もほころびがちになる。だが祭がなければ神々は生きられない。その神々は島の世界の「命」そのものなのだ。
郷友会などがふるさとの伝統を保存しようとするが、そのとき祭は形式化する。生活に結びついた「祈り」の部分は消え、「宴」の部分だけが残る。そして「感謝」はレクリエーションに変わり、祭は「民俗芸能」と化す。
だがそこで人びとの「苦」はどうなるのか。その「苦」を超えて島の宇宙を生かしてきた「命」はどうなるのか。それが岡本さんの切実な問いである。
この近代化の流れの中で、神々の消滅は宿命的だ。ただ、その神々を「成仏」させなければならない。成仏とは永遠に消滅することではない。そうではなく違う形でよみがえることだ。その形はまだ見えないが、いま進行している変化の果てに何らかの「命」のよみがえりを見いだすこと、それが岡本さんの祈念だ。
この岡本さんの祈りは、近代化や世界化のなかでブルトーザーで均されるように消えていった、地上のあらゆるものに通じる祈りでもある。いまや地の果てにまで及ぶ「世界化」によって、人類がどういう時代に、あるいは状況に入ろうとしているか、それを消えゆく宮古の神々は沈黙のうちに示唆している。