『六月声明』
文書5



7月21日討論集会
「国旗・国歌の法制化を問う! 国家の〈公〉から、議論する〈公共性〉へ」

《7月21日討論集会アピール》





 日本政府は、6月11日、きわめて唐突に「日の丸」と「君が代」を法制化する法案を提出してきました。それ以後、政党間の数合わせや党利党略を狡猾に利用し、まことに強引な手法でその成立を図っています。しかも、「君が代」の「君」の解釈を、政府側答弁書で「象徴天皇」のことであるとあけすけに主張しながらです。

 わたしたちは、こうしたいっさいの動きを断じて肯んずることはできません。

 この措置がいかに教育現場に深い亀裂と荒廃を持ち込むのかは、たとえば、すでに「学習指導要領」に基づいて「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱を強要されてきた教師たちのこの十年来の痛苦な経験が教えてくれます。

 この措置がいかに日本社会の過去の罪責をめぐる問いかけとはかけ離れた粗雑な歴史認識によってもたらされているのかは、たとえば、戦争と植民地主義の過去の「集合的忘却」と格闘してきた研究者たちの憤りと反証が示しています。 

 この措置がいかに「公正で多様な社会」への希望に深刻な打撃を与えたのかは、たとえば、わたしたちとともにこの社会で生を営んでいる在日外国人のひとたちの痛みと悲しみの深さに暗示されています。この一ヶ月、さまざまな怒りの声が行き交い、響きあううちに、少なくとも共通の自覚としてもたらされた点は、このような法律がまかり通ってしまうとき、わたしたちは、自分の生きている場を少なくとも「民主的な社会」であると呼ぶことすらできなくなってしまうということでした。

 また、法案の「審議」が「進む」とともに、目の前で深い機能不全を露呈している政治システムの惨状にも、今さらながらわたしたちは驚愕しています。そして、この《時代閉塞の状況》のなかで、すっかり閉じられてしまった「公共空間」を、わたしたちの手でどうやってふたたび開いていくことができるのか。そのことに強く思いをいたさだるをえません。否という意志を形にし、問いかけの豊かさ、多様性、鋭さを保持しながら、《言論する公共性》を作り出していくこと──この課題の重大さを、わたしたち集会参加者はいま、厳粛に受け止めています。

 あらためてわたしたちは、政府や与党に対しては、専門人として、学生、市民として、あるいは内外に生活する人間として、この法案を即時廃案とすることを要求します。また、ともに生きるひとびとに対しては、法制化に反対するなかで生まれたネットワークと言論の厚みを大切にしながら、それぞれの持ち場で、それぞれのコンテクストで、粘りづよくこのような政治の退廃とシニシズムに抗していこうと呼びかけます。わたしたちは屈しません。

1999年7月21日

        国旗・国歌の法制化に反対する7月21日討論集会 参加者



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