「国旗及び国歌に関する法案」は、本日(8月9日)参議院本会議において採決が強行されました。私たちは、本年6月の衆議院への上程以来、この法案が国民国家の未来にとってもつ危険な側面に人々の注意を呼びかけ、国会に対しては十分な慎重審議と、そして広範な国民的な議論を保障するように求めてきました。しかるに、国会において行われた審議は両院でわずか12日間、実質審議時間は二十数時間にすぎません。その間、各種報道機関の世論調査の結果等に見られるように、私たちの国の未来をも決定づけかねないこの重要法案について、人々の疑問や危惧や反対は日ごとにいや増し、各種の報道記事や声明や投稿等の声が示すように、多様な分野のたくさんの人々から深刻な懸念が表明されてきました。にもかかわらず、国民世論と国民の声の負託が議会に反映されるという代議制民主主義の原則にもとるような、国会内的な政党間の数会わせによって、拙速に採決が強行されたことは、私たちの国の民主主義の根本原理を踏みにじる暴挙であると断じざるをえません。
今回の法制化を、私たちは、単なる「普通の」国民国家としての国家象徴の成文化と考えることはできません。なぜなら、すでに多くの有識者が指摘し警告を発してきたように、「日の丸」・「君が代」という戦前の国家シンボルの法制化は、戦後の「象徴天皇制」の実質的な変質を意味するものであり、戦争と侵略と植民地化の歴史記憶に封印をし、日本国憲法にもとづく戦後の国民政治をなし崩し的に清算し、とくに学校教育の場においては国家の権威と規範の体系を強化することへ導くものだからです。しかも、この法案の成立が確実視されるにいたった8月6日に、野中官房長官が記者会見で示した「靖国神社」国家護持構想は、現在の政府が、国旗・国歌の法制化にとどまらず、戦前の大日本帝国憲法下の<国家の象徴政治>を全面的に復古させつつ、二十一世紀の新ナショナリズム国家を、戦後民主主義の前提の総決算の上に立ち上げようとしていることを、明らさまに表明したものです。
私たちは、今回の法制化に疑問、危惧、反対の声を上げた多くの人々とともに、日本国内および世界の世論に対して、現在のこの国の政治状況について重大な注意を払うよう呼びかけます。今この国で起こりつつあるのは、五十余年つづいた戦後日本の国民国家に重大な変更を加える新たなナショナリズムの台頭なのであり、戦後民主主義を葬り去り、新たな二十一世紀型の「天皇制国家」を創り出そうとする<原理主義的な勢力>が、日本の国家的決定のプロセスを浸食しコントロールしつつあるという事態なのです。議会制民主主義の基本を無視し、国民の議論から遠いところで、このような国家の根幹にかかわる重要事項が勝手な政治的取引によって決められてしまってよいのでしょうか。冷戦終結後の左翼勢力の退場が、政治における、このような一方的な右翼化の力の制覇をもたらし、戦後日本国家の民主主義的な枠組み自体がなし崩しにされてしまってよいものでしょうか。
この国の民主主義は、新しい国家主義の台頭によって危機に瀕しています。そして、この危機感は、市民社会の自由や民主主義的な原理を脅かす原理主義的な傾向の増大を前にして、いまや多くの人々に共有されるところとなっています。今回の「法制化」の実現をきっかけに、国家の規範を市民社会に押しつけ強制しようとする圧力は、しかし、これ以後増していくことが予想されます。そこで、すべての人々に、あらゆる機会を捉えて、良心の自由にもとづくあらゆる抵抗の形態を組織し、市民社会の自由と民主主義を擁護する市民的不服従の動きを作りだしていくよう、私たちは呼びかけます。さらにまた、国家による「公」の押しつけに屈することなく、人間の良心の普遍的な自由を拠り所に、市民社会の真の<公共性>を開き維持する勇気を持ち続けるよう、教育に従事する人々、報道にたずさわる人々、官公庁に働く人々に対して、とくに、訴えます。私たちがこの国で培ってきた民主主義は、そう簡単に、国家主義の攻撃に屈するほど弱いものではないはずです。私たちはいつかこの国の民主主義に課された大きな危機を乗り越えるでしょう。
1999年8月9日
「『日の丸・君が代の法制化』に反対する六月声明」 世話人会
石田英敬(東京大)、小森陽一(東京大)、西谷修(明治学院大)、
山口二郎(北海道大)、坂元ひろ子(一橋大)、岩崎稔(東京外大)、
鵜飼哲(一橋大)、本橋哲也(東京都立大)