日本政府は去る6月11日、「国旗及び国歌に関する法律案」を閣議決定し国会に提出しました。この法律案は、「日の丸」を「国旗」、「君が代」を「国歌」としてはじめて法制化しようとするもので、とくに「君が代」について政府は答弁書で「君が代の『君』とは、大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法の下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当であると考える。」という見解を述べています。
広島県の高校長の自殺という出来事をきっかけにとつぜん浮上し、国会の会期切れ間際になって提案され、国民的合意はもとよりまともな討議すら行われていない状況で、政党間の無原則な数合わせだけでやみくもに進められようとしているこの法制化の動きに対して、日ごろ、国の内外において、文化と政治、共同体と表象、記号や象徴などの研究に従事してきた者として、私たちは重大な懸念を抱かずにはいられません。そして、日本国民と世界の人々に対して、国旗や国歌といった、国家による「象徴の政治」がもたらす重大な結果について十分な注意を払うよう呼びかけるものです。
「日の丸」と「君が代」は、天皇制を中心とする近代日本の国家による国民の統合の過程において、国威発揚のための象徴装置として中心的な役割を果たしてきました。それは、国の内部においては有無をいわせぬ国家による国民の規律的統合、国の外部においては異民族の併合とアジア近隣諸国および地域への侵略の道具となったものです。だからこそ、第二次大戦後は、天皇制をめぐる日本国の政治体制の<戦前>と<戦後>の連続性と断絶をめぐって、「日の丸」・「君が代」はさまざまな批判を浴び、また論議の的となってきました。現在、冷戦終結後の国会内外における批判勢力の空洞化を利用して、旧野党勢力をもとりこみつつ行われようとしているのは、こうした戦後の状態のなしくずしの清算にほかなりません。いま進行している事態は、文化的・民族的少数者たちの記憶、戦争犠牲者たちの記憶、植民地化され同化を強制された人々の記憶、周縁の地域や他の国の人々の記憶など、多くの人々の記憶に、法による封印をし、あたかもそのような過去の出来事がなかったかのごとくすべての議論を沈黙させけりをつけて、<戦前>との連続性を再導入しつつ<二十一世紀>に向かおうとする日本国家のあらたな象徴政治の身ぶりに他なりません。
「日の丸」・「君が代」とは何であったのかという過去を直視する討議さえ行なわれず、日本の近代国家の成立が引き起こしてきた国の内外の出来事についての十分な歴史認識と反省をおこなわず、まさにそうした議論を終息させるために、無言のままに国家のシンボルを法制化するこのようなやり方は、この国の未来にとって重大な禍根を残すのではないかと私たちは危惧します。
かって一度も法制化されたことのなかった国旗・国歌を、法制化によって正当化しようとするこの動きが、主として学校教育の場を念頭において進められていることも、私たちの懸念をより深刻なものにしています。いま学校教育にもとめられているのは、有無を言わせず「日の丸」を揚げ生徒たちに「君が代」を歌わせることではないはずです。疑問を封殺するために国家の規範を強制するのではなく、世界の人々と共生することができる国や社会の原理とはなにかを生徒たちに考えさせること、他の国々との相互の歴史認識を深め、国の内外の異なった言語や民族や文化の人々と共に生きる市民社会の基本的価値や原理とは何かについての議論を重ねることからしか、国民的同一性についての真の教育は根付かないのではないでしょうか。
私たちは、現在すすめられている、日の丸・君が代の法制化に反対します。私たちは、政府にこの法案の撤回を求め、諸政党に対してこの法案の廃案化を促すとともに、この問題について、日本および世界の世論に対し重大な注意を喚起するものです。