TWICE TOLD TALES

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若島正


15 David Ely, A Journal of the Flood Year, 1993


病床の手記


 この歳になってこういう病気にかかるとは思いもしなかった。五歳になる娘の風疹がうつって、全身が赤い斑点だらけになってしまい、熱もあって、ここ数日はずっと寝床の中で暮らしている。

 こういう状態だと原稿を書く気力がおきず、困ったものだ。コンピュータの画面に向かうだけで、また熱が上がりそうな気がする。その点だけに限って言うなら、デイヴィッド・イーリーの『洪水の年の手記』(A Journal of the Flood Year, 1993) の主人公かつ語り手であるウィリアム・フォウクがうらやましい。彼はこの手記を、「マイクロペン」なる筆記具で書いている。これは親指くらいの大きさで、その中に十億語ほども保存できるだけの容量を持っている。この器具を使って書くには紙も不要で、「必要とあらば宙で書くこともできる。(たった今、私は自分の手のひらの上に書いている。そのほうが自然に思えるからだ)」というのだから、便利なものだ。こういう筆記具があれば、病人にとってはありがたいのだが。

 もっとも、『洪水の年の手記』の世界がうらやましいのは、そこまでの話である。デフォーの『疫病の年の手記』を連想させるタイトルのこの作品は、分類すれば未来ディストピア小説というジャンルに入る。このディストピア世界は、わたしがかかっている風疹とまったく関係がないわけでもなく、そこでは身体的接触が最も野蛮で忌むべきものとされる。遺伝子工学が発達したこの未来のアメリカでは、人間をセックス/妊娠/出産というくびきから解放することに成功した。その結果、総人口は現在の五分の一程度に縮小し、父親や母親、つまりは家族制度というものが完全に消滅した。ただ存在するのは、すっかり一人きりになり、他者との身体的接触を嫌悪する「個人」だけである。そこでは性的欲求も、機械的手段によって充足される。

 そうした未来世界像もさることながら、イーリーの『洪水の年の手記』で大きな象徴的役割をはたしているのが、<壁>と呼ばれる建造物である。これは、アメリカの東海岸を取り囲むようにして、大西洋に造られた一種の巨大なダムで、その内側は干拓されて都市や農地などができている。ウィリアム・フォウクはこの<壁>を監視する中級公務員であり、大西洋にこのようなものをこしらえるという人類の愚行に限りない誇りをおぼえている男である。その彼が、監視区域に海水が侵入しているのを発見するところから、この物語は始まる。フォウクには人々を守ろうという意識はない。彼がひたすら望んでいるのは、この美しい<壁>を崩壊から防ぐことだけである。そのために、彼は上層部の人間に漏水を報告しようとするが、システムの安全性を絶対視する人々にはその話を信じてもらえず、逆に彼は治安を乱す分子として官憲に追われる身となり、そこから全米をまたにかけての大逃避行の冒険譚が展開することになる。

 この小説を読みはじめたきっかけは、べつに風疹で寝込んだせいではない。ライオネル・デイヴィッドソンのときと同様で、おやイーリーはまだ書いていたのかという興味がまず先にあったのだ。御記憶の方はどれくらいいるだろうか。日本では六〇年代後半にポケミスで『憲兵トロットの汚名』(一九六三)と『蒸発』(一九六三)が間を置かずに刊行され、次いでハヤカワ・ノヴェルズで『観光旅行』(一九六七)が出た。当時はエドガー賞の短篇部門でも受賞している。ところが、デビューからの三作がたてつづけに紹介された後、ぱったりと名前を聞かなくなってしまった。実はわたしも、イーリーを愛読していた時期は七〇年代で、その頃イーリーは本国版の『プレイボーイ』誌や『EQMM』誌を中心によく短篇を発表していたものだ。長篇もそうだが、短篇もすべてミステリの枠には収まりにくいいわゆる「異色短篇」で、あえて言うなら独特の心理サスペンスになるだろうか。とにかく、それ以降イーリーの作品を目にすることはなく、忘れかけていたところで、久しぶりに『洪水の年の手記』を発見したわけだ。そして、著作リストを見てみると、これが長篇として第七作目であることを知って、さらに驚いた。

 こうしてイーリーに再会してみると、やはり彼の持ち味は奇妙な状況下における心理サスペンスであることを納得する。この場合、『洪水の年の手記』がほとんどSFのジャンル内に属することは、さほど問題ではない(もちろん、イーリーはそこを相当に書き込んでいて、この世界で働く無数のロボットなどの描写はきわめて優れているのだが)。このような身体的接触がタブーとされる世界において、フォウクはあるとき彼を追う官憲のジュリアという女性と接触し、それがもとで二人のあいだにこの小説世界では存在しえないはずの言葉にならない感情(言うまでもなく、それは「愛」である)が生まれる。二人のその後の行動を決定するのは、この世界においては野蛮な恥ずべき感情、そしてわれわれの世界においてはきわめて人間的で自然な感情である。差し迫る<壁>の崩壊と、それによる黙示録的世界の到来において、この二人が新しいアダムとイヴになりうるのか。わずかな希望の可能性を残しながら、物語はまさしく終末へと進んでいく。

 外に出歩くこともかなわず、ただひたすら布団の中にもぐりこんで、熱のある目で文字を追うしかすることのないわたしにとっては、こういう物語がちょうど合っていたと言うべきだろう。小説とのつきあいが、人間とのつきあいよりもはるかに人間的だと思える瞬間は、たしかに存在するのである。

(初出『ミステリ・マガジン』〈失われた小説を求めて〉97/6より)
upload 97/10/26


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