TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

若島正


16 Michael Innes, The Daffodil Affair, 1942


アマゾンのアプルビイ


 前に〔この連載〈失われた小説を求めて〉で〕取り上げたロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説の中に、アプルビイという名前の登場人物が出てきたせいで、今回はマイケル・イネスを読んでみようかという気になったのだが、そういうまったくの思いつきにすぎない選択でも、どこかで奇妙に辻褄が合ったりするのも読書のおもしろさというもので、スティーヴンソンとイネスには伝記的事実として共通する絆が一つある。さて、それは何でしょう?

 このパズルにすぐに答えられる方は、かなり勘が鋭いと自慢していい。なにしろ、この原稿を書き出そうという段になって、わたしもようやく気がついたくらいだから。正解は、二人ともスコットランドのエジンバラ生まれ。この符合はやはり恐ろしいことであり、どこで生まれるかも作家としての才能のうちではないかと考えずにはいられない。暗い奇想を生み出す土壌が、明らかにエジンバラにはあるのだ。

 イネス名義の全48冊(短篇集を含む)のうち、現在わたしの手持ちは36冊。それではその中から、どの作品を読もうか。大多数を占めるアプルビイ物にするか、それとも少数あるシリーズ外の作品にするか。そうやって悩むのも、読書の最中に負けず劣らず楽しい時間である。悩んだあげく、他人の意見に耳を傾けることにした。思い出したのが、アンソニー・バウチャーの書評。この人とジュリアン・シモンズが言うことはまず間違いない。彼が取り上げているのは、イネスの第8作目にあたるThe Daffodil Affair (1942) で、この時期の作品群には当たり外れがないことは、すでにわたしも経験済みで知っている。J・J氏はよく、海外の書評をそっくり孫引きして、あらすじの紹介にも代えるという不思議な手を使っていたが、わたしもそれを真似て、バウチャーの書評を引用してみる。

 イネス氏はかつて自作を「探偵小説とファンタジーの境界線上にある」と表現した。今回の新作『ダフォディル事件』において、その境界線が越えられたことは明白である。物語はロンドン警視庁から始まるが、その捜査たるやフレンチ刑事がおよそ夢想だにしないようなものだ。失踪するのは次の四つ。ロダフォディルという名前の田舎馬、ワ三重人格を持つ下町娘、ンヨークシャー出身の若い本物の魔女、゙(かつてジョンソン博士も調査したことがある)幽霊屋敷で、これがロンドン空襲の最中に、いかにももっともらしく、少しづつ順に盗まれる。……イネスの小説ではおなじみの教養ある主人公アプルビイ刑事と大真面目なハズピス刑事は、事件を追いかけていくうちに、最後にはアマゾンの密林にたどりつく。……この小説は最近の掘り出し物の一つだ。正統派の推理小説ファンならば多少ならず眉をひそめるかもしれないが、ノーマン・ダグラス、イヴリン・ウォー、ジョン・コリア、それに初期のハクスレーの愛読者ならば、必ずや新発見だと喜ぶにちがいない。

 さすがバウチャー、イネスの本質とこの作品を手際よく要約してまったく過不足がない。

 この奇妙なものばかりを盗んだ犯人(幽霊屋敷を少しずつ盗んで持っていくというアイデアがとりわけ秀抜)は、アマゾンの奥地である壮大な実験を試み、世界征服の野望を夢見ていた……というのが真相なのだが、この荒唐無稽さには驚きを通りこしてあきれてしまった。英国が舞台なのは第一部だけで、後の第二部から第四部までは舞台が海の上とアマゾン河になるのもこの小説の特徴で、当時イネスはオーストラリアの大学で教えていて、それがこの珍妙な海洋・密林冒険譚まがいのものを書く動機にもなったのだろう。

 この殺人事件がまったく起こらない小説の中に、ただ一つ、計画が未遂のままで終わる殺人があり、その被害者になるはずだったのはハズピス刑事である。その動機は、幽霊をこしらえること……というのも、なんともはや珍妙無類だ。この殺人計画を逆手に取って、アプルビイはハズピスと共に一芝居打つことを企み、こんなやりとりをする。

 「これは探偵小説におあつらえ向きの動機なんだが、ぼくたちは探偵小説の中にいるわけでもないしな」

 「おいおい、きみはピランデルロの劇に出てくる人間みたいな台詞をしゃべっているぞ。もう寝ろ」

 「ぼくたちがいるのは、言ってみれば、ファンタジーと素っ頓狂な冒険譚のごたまぜで、まともな探偵小説なんかじゃない。まるでマイケル・イネスの小説みたいだ」

 「イネスだって? 聞いたことがないな」アプルビイは我慢できずに言った。「文学の最底辺の話なんかしないで、残された最後の時間をもっと有効にすごすことだよ。もう寝ろ」

 これは今風にいうとメタフィクションの趣向だが、イネスが初期の頃からジャンルをはみだすことを充分に意識しながらこういう奇想小説を書いていたのを知ったのは、今回の収穫だった。

 ところで、この小説で盗まれる駄馬は、数字がわかるという特殊才能の持ち主である。そこで、次回は馬がしゃべる小説を読んでみよう。

(初出『ミステリ・マガジン』〈失われた小説を求めて〉96/7より)
upload 97/10/26


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