18 Michael Dibdin, The Tryst, 1989
夢が密会する場所
『密会』。なんという魅力的な題名だろう。
もともと、小説を読むという行為そのものは密会である。そう、まさしく人目を忍び、深夜に、
そっと本の扉をあけて読者は中に入っていく。そこで読者は心の奥に秘められた欲望と邂逅する。
胸ときめく、孤独な達びき。この小説がそうした出会いとなることを期待しつつ、マイクル・ディブディンの『密会』をわたしたちは読みはじめる。
ディブディンは一九四七年牛まれの英国作家。デビュー作の『シャーロック・ホームズ最後の物語』(一九七八)は、ホームズが切り裂きジャックと対決するという贋作物であり、第三作目の『ラット・キング』は一九八八年度のゴールド・ダガー賞を受賞した。とすれば、第四作に当たるこの『密会』もおそらくミステリに属するのだろうと読者は予想する。
小説の出だし、精神料医のアイリーンはある精神分裂症の患者に興味を持つ。この一七歳の少年ゲイリーは、誰かに殺されるという強迫観念にとりつかれている。アイリーンは大学生の頃、ある男の子供を身ごもったことがある。その子供が生きていればちょうどゲイリーと同じぐらいの年齢で、なぜかこの少年が自分の息子のように思えたのだ……。
ここで読者は、やれやれとため息をつく。また異常心理物のミステリか。この手のものならルース・レンデルがお得意だし、レンデルもたしかにうまいけれど何冊も読むといいかげん滅入ってくる。瀬戸川猛資氏が好著『夜明けの睡魔』の中で、「ミステリは、殺人という狂気じみた題材を、狂気とは正反対の精神――知性や理性で楽しむ虚構なのである」と喝破して、反レンデル論を展開していたではないか。前途に不安をおぼえつつ、読者は先を読み進める。
ゲイリーの本名はスティーヴといい、精神分裂症で入院することになる以前、不良グループと共同生活を送っていた頃にアルバイトで新聞配達をしていて、彼は奇妙な老人と知り会う。この独り暮らしの老人マシューズが、スティーヴに昔話をする。子供の頃住んでいた大きな屋敷(彼は家政婦の息子だった)、その主である双子の兄弟のうちの一人モーリスの不思議な恋物語。そして、森の中にある、恋人たちの逢びきの場所として使われている空き家、さらにその窓からのモーリスの墜落死……。
ここに至ってようやく、「密会」が形をとって現れる。そしてそれと同時に、この小説はサイコ・スリラーと見えたものから知らないうちに幻想小説へとジャンルを横滑りしてしまう。
主要人物であるアイリーンとスティーヴの二人は、それぞれ秘密の物語を持っている。アイリーンは過去に葬った遺児の物語を、そしてスティーヴは便所の壁に書きつけようとするひそかな愛の物語を。この二人の物語は、老人が語る物語ヘ、時間的にも場所的にも遠く離れた森の中の密会の場所へと、いつしか誘い込まれていく。ただ、二人の物語はどちらも閉じていて交わらない。そこには感動的な愛のハッピーエンドはありえない。たとえ、アイリーンがスティーヴと自分とのかかわりについて、信じられない事実を知ったとしても。二人の物語は、孤独な逢びきの物語なのである。
この小説の最終章では、まさしく驚くべき結末が用意されている。錯綜とした物語が終わろうとする瞬間、謎はすべて謎として残されたまま、孤独な夢が集う密会の場所も崩壊していく。「あらゆる犯罪にはどこか夢に似たところがある」とは、扉辞に掲げられたヴァレリーの言葉である。