19 Michael Dibdin, Vendetta, 1990
幾重にも仕掛けられた復讐譚
何年か前にヨーロッパを歩いてまわったとき、とりわけ印象に残ったのはイタリアの都市だった。たとえばヴェニス。わたしが見たヴェニスは、「旅情」の舞台となった観光都市ヴェニスではなく、『赤い影」の幻想的な迷宮都市ヴェニスだった。あるいはローマにしてもそうだ。わたしの目に映るローマは、オードリーが束の間の自由を楽しむ「ローマの休日」のローマではなく、奇怪な『フェリー二のローマ』のローマだった。その不思議さには、どこか形容しがたいところがある。『フェリーニのロ−マ』に描かれたローマは幻想的な都市に見えるが、実際にローマを見ると、それが現実なのだということを痛感させられる。フェリー二がローマを幻想的に撮ったのではない。ローマという都市そのものがもともと幻想的であり、それがローマにおいては現実なのだ。
そういうわけで、わたしはイタリアを舞台にした小説を好んで読む。まだ日本ではまったく紹介されていない、一九四七年生まれの英国作家マイケル・ディブディンの最新作『血の復警』(Michel Dibdin, Vendetta, 1990)もそのひとつである。
ディブディンの作風を一口で説明することはむずかしい。彼の『シャーロック・ホームズ最後の物語』一九七八)はホームズが切り裂きジャックと対決するという贋作物にすぎず、一九八八年度のゴールド・ダガー賞を受賞した『ラットキング』は未読なのでなんとも言えないが、わたしが読んですっかり感心したのは第四作目の『密会』(一九八九)である。この作品は本誌(『ミステリマガジン』)二月号のクライム・ファイルに「ルース・レンデル絶賛の作家の心理サスペンス」として短い紹介が載っていたが、実はそれほど簡単に要約できる作品ではない。なるほどたしかに出だしはレンデル風の異常心理物に見えるのだが、物語が進行するにつれてジャンルを横滑りして、間違いなく読者を驚愕させる結末部分では、ほとんど幻想小説になってしまうのだ。この『密会』」についてはすでに別の場所で書いたことがある(『翻訳の世界』一九八九年九月号)ので詳しく論じるのは避けるが、つまりディブディンはいまのところとりあえず「ミステリ」あるいは「クライム」というレッテルを貼られているだけで、将来何を書くかわからない、そんな可能性を秘めた作家なのである。最新長篇『血の復讐』は、大富豪の虐殺で幕をあける。地中海のサルディニア島の人里離れた奥地に、政財界に顔がきく建設業者として富を築いたオスカル・ブローロの邸宅があった。それはハイテク技術を駆使した要塞のような豪邸だった。ブローロ夫妻とゲストに招かれた夫妻の四人が、そのいわば巨大な密室で何者かの手によって惨殺される。四人の前に不意に現れた姿を見せない侵入者が、猟銃でかれらを皆殺しにするその惨劇の様子を、監視装置として設けられたヴィデオカメラが克明に記録していた。この事件を担当したのが、ローマ警視庁のゼン刑事。妻に去られて、年老いた母親と二人暮らしの中年男ゼン刑事は、ローマの街を徘徊するにつれて次第にこの事件に巻き込まれ、政界やマフィアなどの様々な思惑が渦巻くなかへと導かれていく。そしてゼンの周辺では、不思議な出来事が起こりはじめる。まず、事件を記録したヴィデオが盗まれる。さらに、ゼンのもとに匿名で散弾数発が郵送されてくる。そして、ゼンを脅かすその何者かは、ついにあるとき自宅にまて侵入してきた……。
この小説は、三人称の語りでゼンの行動を追う部分と、一人称の語りでおそらくは犯人と思われる何者かが謎めいた独白をする部分とが交差して進行する。その謎の人物の正体が明らかになるように見えるのは、次の瞬間だ。ゼンは二十年前にスパドーラという男を逮捕し、その活躍ぶりが世間の話題になったことがあった。しかし、その情報を提供した男や、スパドーラに無期懲役を課した治安判事が、最近になって次々と残酷に殺害されるという事件が起こり、刑務所に問い含わせの電話を入れたゼンは、担当者の回答を聞いて愕然とする。スパドーラは少し前に釈放されていたのだ。
舞台は迷宮のようなローマからサルディニア島へと移り、事件を解決すべく派遣されたゼンはそこで復讐の鬼と化したスパドーラと二十年ぶりに再会する。ゼンの前に姿を現したスバドーラは、おまえを殺してやると公然と言い放つ。映画「ブレードランナー」のように、追う者と追われる者の立場が逆転し、逃げるゼン刑事にそれを追うスパドーラというサスペンス。そしてとうとうゼンは森の中で追いつめられて、絶体絶命の危機に陥るのだが……。
ここで作者ディブディンは、アイラ・レヴィンの名作『死の接吻』を思わせる、読者の盲点を衝いたドンデン返しを準備している。伏線の張り方もフェアで用意周到なものであり、その意味では前作「密会」よりもミステリとしての要素は濃い。
ディブディンはこの小説で、幾重にも仕掛けられた復讐譚を書いた。日本で翻訳紹介されるのはいつのことかわからないが、一作ごとに趣向を変え、小説家として独自の声を獲得しつつあるディブディンには、当分目が離せそうにない。