22 Stephen Dobyns, The Two Deaths of Senora Puccini, 1974
欲望の果て
毎年年末になると、本誌(『ミステリマガジン』)の編集部からベスト3のアンケートが送られてくる。それはいいとして、困るのは何か肩書をつける必要があることだ。何も書かなかったときは、編集部の方で「翻訳家」あるいは「英米文学者」とつけてくれたこともあったが、この肩書はどちらもわたしにとって荷が重い。なにしろ翻訳家と呼ばれるほど 数多くの翻訳書を出しているわけてもないし、文学者というのもなんだか偉そうで嫌だ。自分はただ小説を読むのを仕事にしているという自覚しかなく、そういうのは何と呼べばいいんだろう、ということで、近頃は勝手に「小説論」という名称をこしらえてあちこちで使っている。92年度のアンケートの肩書欄にもこれを記入したところ、「小説論者」という風になって載ってしまい、これではどう考えても変で、またまた悩むことになった。ほんとうのところを言えば、単なる「読者」ではいけないのかと思うのだが、やはりだめなんでしょうね。
そういうわけで、ふだんからジャンルにこだわらずに小説を読んでいると、ときどき思いがけない発見をすることがある。つい先日、洋書店でペンギン・ブックスのミステリ物(これは緑色が目印)を漁っていて、スティーブン・ドビンズという名前が目についた。まだ一冊も読んだことがない作家だが、この名前にはどこかで見覚えがある。ドビンズ、ドビンズ……と記憶をたどってみて、ようやく思い出した。この作家には、ペンギン・ブックスの純文学(こちらはオレンジ色)でお目にかかったことがあったのである。こういう発見をしたら、これまでの経験からすると拾いものである確率が大きく、何も考えずにまず読んでみる一手だ。わたしはドビンズをごっそり買って帰った。ミステリを書くときには筆名を使うジュリアン・バーンズやポール・オースターと異なり、ドビンズはミステリも普通小説も本名で書いている。その姿勢は、わたしにとっては好ましい。ミステリの方では、チャーリー・ブラッドショーという私立探偵を主人公にした「サラトガ」シリーズをこれまでに六冊。その第三作目にあたるSaratoga Headhunter(1986)は、『死をよぶ血統馬』という邦題で扶桑社ミステリーから出ているので、すでに御存知の読者もいるだろう。
さて、ここで紹介するのは、ドビンズの普通小説『セニョーラ・プッチーニの二つの死』(The Two Deaths of Senora Puccini,1988)である。もちろん、普通小説といっても、ミステリ味が希薄なわけではない。すでにこの題名からして謎めいている。「二つの死」とはいったい何か? 読者の関心はまずこの点に向けられる。しかし、そこはミステリ作家でもあるドビンズの巧妙なテクニックで、この「二つの死」の意味が明らかになるのは小説の最後の最後なのだ。
舞台は、おそらくは南米と思われる、名前が伏せられた町。大学を中心にして暴動が起こり、官憲との市街戦で民間人にも犠牲者が出ている騒然とした状況の中を、外出の危険をおかして、三人の中年男が外科医ダニエル・パチェーコの邸宅に集まってくる。彼らは十代の頃のクラス仲間であり、半年に一度は夕食を共にする習慣になっていたのだ。『セニョーラ・プッチーニの二つの死』は、この豪華な饗宴の一夜で起こる物語である。
同級生だった頃、パチェーコは仲間のリーダー格であり、娼婦を雇ってクラス全員の相手をさせたこともある男だった。今は書評を書くことでようやく食いつないでいる語り手のニコラス・バタービイは、単に旧交を温めるというのではなく、ふたたびパチェーコの導きによって人間の秘密を知るためにこの晩餐にやってきたのではないかと瞑想する。晩餐が進むにつれて開示されるその秘密とは、人間が持つ情熱あるいは欲望であり、それを隠そうとする嘘あるいは自己欺瞞である。その中心となるのは、部屋に飾られていた若い美女の写真で、パチェーコの派手な女性関係を知っている三人の客は、その女性が誰かを各人なりに推理する。ところが、パチェーコ本人が明かした真実は、三人のそうした推理とは大きく異なる物語だった。その屋敷で雇われている、セニョーラ・プッチーニと呼ばれる寡黙でまったく目立たない家政婦が、当の女性だと言うのだ。
二十年以上も前のこと、パチェーコはあるコンサートで、後ろに坐った女性の足首に偶然に触れ、その瞬問からこのアントニア・プッチーニという名の娘をわがものにすることが人生のすべてになってしまった。彼女には婚約者がいて、パチェーコの大胆なアプローチにもただ冷淡な態度をとるばかりで、それが逆にパチェーコの情熱を焚きつけた。彼はありとあらゆる卑劣な術策を弄して、ついにこうしてアントニアと同居することになったのだが、それは自分の人生と彼女の人生を破減させるという代償を払って得たものだった。二人はいわば、お互いに相手を殺しあったのである。
小説の前半で、語り手のバタービイはセニョーラ・プッチーニが拳銃を隠し持っていることを知る。忌まわしいパチェーコに対して、彼女は復讐をくわだてているのか……。饗宴が最後のデザートヘと向かうクライマックスでは、意外ではあるが読者を納得させる結末が待っている。そこでは、人生を自己欺瞞で塗りかためた三人の客たちではなく、激しい欲望の殉教者となったパチェーコが肯定されるのだ。なお、『死をよぶ血統馬』の読者のために、この『セニョーラ・プッチーニの二つの死』にも馬が出てくる印象的な場面があることを付け加えておこう。