TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

若島正


23 Agatha Christie, The Murder of Roger Ackroyd, 1926


翻訳 田村隆一訳『アクロイド殺し』ハヤカワ・ミステリ文庫


クリスティと麻雀の夕べ


 チェスであれブリッジであれ、ミステリにはしばしばゲームの場面が出てくる。なぜなら、ミステリそのものが一種のゲームに他ならないからだ。典型的な例としては、犯人と探偵が一対一で競うゲーム。それは、謎を提出する作者とその謎を解こうとする読者が、ミステリというゲームを媒介にして知恵比べをする構図と相似関係になっている。

 さてここで取り上げるのは、ミステリの古典中の古典、クリスティ『アクロイド殺し』の第一六章「麻雀の夕べ」の場面である。この作品、読んだことがない人でも犯人を知っていると言われるぐらいだから、ネタをばらして書いてしまうので御了承いただきたい。

 なぜクリスティは麻雀の場面を描いたのか。その理由はいくつか想像できる。第一に、クリスティは時代風俗を描こうとした。『アクロイド殺し』の出版は一九二六年。オックスフォード英語辞典で Mah Jong の項をひいてみると、「一九二〇年代の初期にヨ−ロッパおよびアメリカに紹介された」と載っている(ちなみに、この辞書には、今世紀の大作家ジェイムズ・ジョイスの一九二三年一月二日付けの書簡から、「私は巧妙な麻雀のパズルを創作しました」という興味深い文例も引用されている)。すなわち、当時は麻雀が英国に輸入されて流行した時期なのだ。その意味から、「アクロイド殺し」は貴重な文献としての価値も持っていることになる。

 第二の理由は、当然ではあるが、登場人物の性格を描くこと。卓を囲むのは、語り手のジェイムズ・シェパード医師。その姉のキャロライン、それからこの村に住むミス・ガネットとカーター大佐の四人。こういう場合に、ブリッジよりも麻雀の方が設定として適切なのは、キャロラインとミス・ガネットが大のゴシップ好きでおしゃべりだからである。ミス・ガネットはポンやチーをしてはすぐ取り消すのが癖で、いつも安い手で上がる。それに対してキキャロラインは大物狙いで、なかなか上がれない。カーター大佐は気位の高い軍人らしく「上海倶楽部では……」と講釈を垂れることだけは一人前である。クリスティがどれほど麻雀に関心を持ってたのかは知らないが、麻雀とは人格のゲームであることを見抜いていたのはさすがと言わざるをえない。

 第三の理由は、四人のゲームでありながら、隠された本当の戦いが語り手とキャロラインとのあいだで行われている点にある。問題の場面は東二局。キャロラインは飜牌をふたつポンし、さらに自風牌を暗カンして大物手を狙っていたのに、ミス・ガネットが最低の一○○○点で上がってしまう。

「ホンチュンが一枚あればね」姉はいかにもくやしそうに、「わたし、サンファンで上がれたのに」「ホンチュンは、ぼくがはじめから二枚もっていたんですよ」私はつい口をすべらせてしまった。「いかにもあなたらしいわね、ジェイムズ」キヤロラインがとがめるように言った。

 「あなたは、そもそもこのゲームの精神がわかっていないんです」――〈田村隆一訳)

 アクロイド殺しの犯人である語り手は、動物的なカンで真実を嗅ぎ当てる姉をいちばん恐れていた。ロン牌の「中」を姉に振り込まずにじっとおさえたのは、真相を見破られまいとする犯人だけが持つ冷静さである。姉の非難にもかかわらず、隠すことがミステリにおける「ゲームの精神」であると語り手は充分承知している。

 そして最後の理由。ほとんとゲームに参加していなかった語り手に、南一局でとんでもない手がやってくる。

  こういう役満があるということは、本で読んで知っていた――配牌のままで上がっているという手があることを。しかし、自分にそんな手がつこうとは、夢にも考えたことがなかった。

 私は得意さをおさえて、白分の脾をテーブルにひろげた。

 「シャンハイ・クラブでいう天和(テンホウ)の役満というやつですね」

「こういう役満」という箇所は、原文ではPerfect Winningである。この言葉こそクリスティが麻雀の場面を描いた最大の理由ではなかったか。ミステリでPerfect Winningからただちに連想される言葉といえば、もちろんPerfect Crime(完全犯罪)である。そしてその連想どおりに、この小説では語り手が手記を綴りだした第一章――つまり配牌――の時点で、すでに読者に対して完全犯罪が仕掛けられている。語り手=犯人という掟破りをやってみせることで、クリスティはみごとに天和(テンホウ)の役満を上がっているのだ。

(初出『ミステリマガジン』90/7より)
upload 97/12/6


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