TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

若島正


4 Robert Goddard, Past Caring, 1986


翻訳 幸田敦子訳『千尋の闇』上下 創元推理文庫


過去を愛する


 ロバート・ゴダードは、あまり運のいい作家ではない。

 彼が英国で人気作家になった大きな原因のひとつは、九一年一月一三日付けの『サンデー・タイムズ』紙で、メジャー首相が第二作目の『リオノーラの肖像』(原題In Pale Battalions)を「いちばん好きな小説」として挙げたことだった。この予期せぬ人物からの賛辞は、その後に尾ひれがついて、ゴダードがメジャー首相の「いちばん好きな小説家」であるという形で流通することになる。これはたしかに、ゴダードの評判を高めるうえで一役買ったことは間違いない。しかしその一方で、あのメジャー首相が愛読しているというイメージが、マイナスに作用したのもまた事実なのである。誰でもいいから、適当な日本の総理大臣なり政治家を想定してみてほしい。「××総理が愛読する小説」というのを、あなたは読む気になるだろうか?

 ゴダードの小説によく付けられる惹句は、「ダフネ・デュ=モーリアのロマンスとジョン・ル=カレのスリラーを合わせ持つサスペンス」というものである(実際、わたしが持っている本書のパーパーバック版の裏には、まずその文句で宣伝されている)。一般読者がデュ=モーリアの方から連想するのは『レベッカ』に見られるゴシック・ロマンス風の小説だろうし、ル=カレから想像するのはスパイ小説だろう。しかし、その両者を合わせたような作品とはどんなものか? やはりこれはずいぶん誤解を招くレッテルであり、要するにゴダードの小説がきわめて分類しにくい種類のものであることを示しているだけだ。結論を先に言ってしまえば、ゴダードはデュ=モーリアにも似ていないし、もちろんル=カレにも似ていない。似ているところがあるとすれば、それは小説の長さくらいのものである。

 とりわけ、デュ=モーリアと一くくりにされたのは、ゴダードにとって不幸だった。ゴダード自身の話によれば、「ロンドンの文芸編集者の目から見れば、デヴォンかコーンウォール在住の作家はみなダフネ・デュ=モーリアになってしまう」とか。デュ=モーリアは『レベッカ』を書いてから、イングランド南西部のコーンウォールにある、マンダレー屋敷のモデルになった館に移り住んだ。一方、ゴダードはやはり南西部のデヴォンで地方公務員をしていた(現在はその職をやめて、専業作家として独立している)。その地方色という共通項のみで同じに扱われては困ったものだ。

 デュ=モーリアの作品は、現代の読者にはおそらく展開がゆっくりしすぎて読めないし、それは『レベッカ』も例外ではない(ただ、わたしは彼女に別の面で興味を持っているが、それは本論には関係ないのでここでは触れない)。それに比べて、ゴダードは圧倒的に読者を作品世界に引きずり込む力を持っているのである。最初のページをめくればもうおしまいで、読者はペーパーバックにして五〇〇ページくらいはある分量を必ず最後まで一気に読み通してしまう。わたしは今までゴダードを四冊しか読んでいないが、どの場合もそうだった。これは当たり前のように思うかもしれないが、実は相当に凄いことだ。わたしなどは、つまらない小説だと思ったらすぐそこで読むのをやめてしまう癖がついているし、別の小説を同時進行で読んでいることがしょっちゅうなので、途中で挫折することも多い。それなのに、ゴダードの小説は絶対に期待を裏切らない。これほど「読ませる」現代作家は、なかなか他に思いつかないのである。

 それでは、ゴダードの小説のどこがそれほど読ませるのか。ゴダードの小説がつねに持っている特徴とはどんなものか。それを知るには、記念すべき第一作である本書『千尋の闇』を読むのがいちばんいい。なぜなら、そこにはゴダードのすべてが集約された形ですでに現れているからである。

 ゴダードの最大の特徴は、迷宮を思わせるような、錯綜を極めた複雑なプロットである。

 最初は比較的単純に見える謎の探究で始まるものの、その探究がまたさらに新たな殺人事件や謎を生み、登場人物たちの敵味方が入れ替わり、小説世界の全体像がたえず万華鏡を見るように変化して、読者に息をつかせない。しかも驚嘆することに、ゴダードの小説はこれほどの長さにもかかわらず、ほとんどと言っていいほど無駄な部分というか遊びの要素がない。どのような細部も、プロットに有機的に関連してくるのである。逆に言えば、ゴダードを読み慣れた読者にとっては、妙に印象的で突出した細部がそのままに放置されていると、これは伏線だなという勘が働いて、先の展開を予測する手がかりになる。そうした予測が当たるときには、ジクソーパズルの余っている断片がぴったりと全体にはまったような快感を覚えるのである。『千尋の闇』の場合も同様で、プロットに直接関係するだけにはっきりと書いてしまうわけにはいかないが、わたしは本書を読みながら、ストラフォードの回想録の中に出てくる、彼が甥のアンブローズにクリスマス・プレゼントとして贈った手製のおもちゃの城のエピソードに傍線を引いていた。そしてこのエピソードが後になって効いてきたときに、やはりそうかと納得したものだ。跳ね橋が動いたり、秘密の扉があったりする、精巧な細工のこのおもちゃの城は、『千尋の闇』という精緻を極める小説全体の小型モデルにもなっているところが心憎い。

 ゴダードは、小説全体の構想を練るときに、まずこの複雑なプロットを先に組み立て、その設計図に思わぬ穴がないかを念入りに点検するのだという。そういう小説構成上の手本にした作家としては、『月長石』や『白衣の女』で知られるヴィクトリア朝作家ウィルキー・コリンズと、現代では『フランス軍中尉の女』のジョン・ファウルズが挙げられるとか。なるほどそう言われてみれば、いかにも物語としてのおもしろさを最大限に重視するゴダードらしい卓見ではないか。

 ゴダード独特の複雑なプロットの中核をなすもの、それは過去の探索である。過去または歴史は、時間の経過に埋もれて眠っているように見えるが、ひそかに現在に影響を及ぼし、それを形成している。これがゴダード作品の登場人物たちを巻き込み、そして読者をも巻き込む、最大の力なのだ。『千尋の闇』の主人公マーチン・ラドフォードがそうであるように、ゴダード自身もケンブリッジで歴史学を専攻した、「歴史学者のなりそこね」である。回想録、日記、書簡といった歴史的資料となるものが作中で重要な役割を占めるのも、そうしたゴダードの歴史への関心から導かれた必然的な手法である。『千尋の闇』の時代背景として据えられた、アスキス内閣当時の政治状況、特に婦人参政権をめぐる動きは、ほぼ正確な時代考証に基づくものであり、ゴダードの小説世界を堅牢なものにしている。もちろん、最も重要な人物であるストラフォードは架空の人物だが、その他の内閣構成員であるロイド・ジョージやチャーチルは歴史上の人物であり、彼らに小説上かなり大きな役割を与えているところにも、作者の自信のほどが窺えよう。

 ここで本書のタイトルについて一言しておく。原題はPast Caringで、これが実に日本語になりにくい、多義的な意味を担ったタイトルなのだ。past caringという言葉そのものは、本来は「何かをもはや気にかけなくなっている」という慣用語である。その意味に対しては、主人公のラドフォードが歴史教師の職を追われてもはや失うものはなくなり、セリックの依頼を引き受けてしまうところから、彼のむこうみずな探索が始まるというストーリー展開全体があてはまるだろう。しかし、pastを「過去」と読んでやれば、この題名はひとつの解釈としては「過去の愛情」となり、そこからはストラフォードとエリザベスとの歴史に埋もれた恋物語が浮かび上がるだろうし、またもうひとつの解釈としては「過去を愛すること」となり、それはゴダードの基本姿勢をも表現しているだろう。ぴったりした邦題がなかなか見つからないのは、ゴダードの日本における受容においてずいぶん損をしているように思う。おそらくゴダードの初期の代表的傑作と思える第二作の『リオノーラの肖像』にしたところで、これではなにやらゴシック・ロマンス風の小説か、ロバート・ネイサンの愛すべきファンタジー『ジェニーの肖像』をまず想像してしまうではないか。本書の『千尋の闇』も明らかに苦心の産物だと推測されるが、わたしとしては、第三作目のPainting the Darkness (1989)と将来混同されることがないように祈るばかりである。

 さて、こうした過去の探索を主軸にする複雑極まりないプロットを読者に提供するのに、ゴダードは実に達者なストーリーテリングの才能を発揮する。彼の語りの特徴は、うだつのあがらない人物を視点人物に定め、その人物の冒険を通して、少しずつ謎の真相が明らかになってくるという形を取る点にある。ゴダードの小説に読者を引っぱる強力なドライヴがあるのは、まさしくそこなのだ。すでに述べた、回想録や手紙といった小道具の使用が語りに彩りを添えるだけで、多重視点を導入して目先を変えるような手は使わない(そうすれば、登場人物たちの多くが隠された下心で行動したり嘘を言ったりするゴダードの小説世界は、たちまちにして混沌に陥ってしまうだろう)。ここにはミステリーにはつきものの超越的な探偵は存在しない。主人公は、わたしたちと同じ一般人であり、しかも人生の敗残者である。過去を探索する彼の行為は、自分の人生を贖おうとする道徳的な行為でもある。わたしたちは彼とともに迷宮をさまよい、そしてその旅路の果てに到達したときには、彼とともに何らかの意味で自分が肯定されたことを知る。主人公に与えられるのは贖罪である。そして読者に与えられるのは、長い時間小説を読んできた、その行為の肯定である。

 わたしはいちばん最初に、ゴダードはあまり運のいい作家ではないと書いたが、ここでその前言を訂正しなければならない。ゴダードを読んだ人間は、その筆力に魅せられて、必ず彼の愛読者になる。あなたが本書で初めてゴダードに接したとしたら、あなたもきっとその愛読者の仲間入りをするはずだ。それは保証してもいい。そして、現在までに発表された九作のどれもが、期待をけっして裏切ることのない高水準の作品ばかりであることを知る。『千尋の闇』でデビューしてから、そうして愛読者を獲得してきたゴダードが、運の悪い作家であるはずがないではないか。

(初出 創元推理文庫『千尋の闇』解説)
uoload 97/10/22


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