9 Colin Dexter, Morse's Greatest Mystery and Other Stories ,1993
Dexterous Dexter――才人デクスター
先頃亡くなったジュリアン・シモンズは、探偵小説から犯罪小説への歴史的経緯を綴った名著『血まみれの殺人』(一九七二)の中で、二章のスペースを割いて短篇小説というサブジャンルを論じている。まず「短篇小説――第一期黄金時代」の章では、ドイルの後続として現れたチェスタトンをはじめとする作家たちを扱い、「短篇小説の変異」の章では「ストランド」誌の消滅にほぼ呼応する短篇小説の衰退を指摘しながら、それに代わってアメリカで「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」誌が創刊されたことにより、エリンなどの注目すべき作家が登場して短篇小説の復興が見られたとする。こうした短篇小説史観は、だいたい一般常識となりつつある正統的な記述だと考えてよいだろう。
それからすると、短篇小説が書かれ読まれるためには、それを載せる雑誌媒体の存在が大きく関係してくる。これは来日したレジナルド・ヒルも言っていたことだが、英国ではそうした短篇小説のためのマーケットが極めて数少ないために、短篇を書きたくてもなかなかそうできないのだという。その意味では、こうしてデクスターの短篇が一冊にまとまった形で読めるようになったのは、デクスター愛読者にとってまことに慶賀すべき出来事だと言わねばならない。ジョン・クーパーとB・A・パイクの共著 Detective Fiction: The Collector's Guide第二版によれば、ここに集められた十作がこれまでにデクスターの書いた全短篇であり、いちばん古いものから新しいものまでほぼ十五年以上が経過しているから、今後彼の第二短篇集が出る見込みはかなり低いと想像できよう。(なお、もう一作「モースの秘密」The Secrets of Morse という短篇があるが、これは『謎まで三マイル』をもとにしたものである。さらに付け加えれば、クーパーとパイクはこの十作のうちモース物が六作でシリーズ外が四作と計算しているが、一九九三年にマクミラン社で出たハードカヴァーではそれぞれ五作ずつと紹介している。この違いは、すでにお気づきのとおり、モースがいわばカメオで特別出演する「偽物」をどちらに入れるかという問題である。読者諸賢の判断に任せたい。)
発表の媒体は、「エヴァンズ、初級ドイツ語を試みる」「世間の奴らは騙されやすい」「花婿は消えた?」「モンティの拳銃」の四篇が、いずれもマクミランから出ているオリジナル・アンソロジーのシリーズ『冬の犯罪』Winter's Crimes に収められたもの。ここでデクスターは、ふだんのモース物から離れて、犯罪小説やホームズ物のパスティーシュに手を染め、あいかわらずユーモアたっぷりで達者なところを見せている。「近所の見張り」と「内幕の話」は、どちらも一九九三年に独立した単行本として出版されたもので、アメリカン・エキスプレスと提携して五十九ページのペーパーバックの形で出た「内幕の話」には、モースとオックスフォードにちなんだクロスワードが付けられているという。さらに、本短篇集のタイトル・ストーリーにもなっている「モース警部最大の事件」は、一九八七年十二月十九日付けの「テレビ・タイムズ」紙に掲載された、ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」を下敷きとする伝統的でしかも洒落たクリスマス・ストーリーである。
以下、いくつかの短篇について、わたしなりのメモを御参考までに。
●「近所の見張り」
原題の Neighbourhood Watch とは、本来は一九七〇年頃にアメリカで始まった、犯罪防止のために近所どうしが相互に監視しあうシステムであり、全米近隣監視計画と呼ばれた。これがある程度の成果を挙げたため、一九八三年にはロンドン警視庁がその教訓に学ぼうとアメリカに視察団を送り、このシステムの輸入をはかった。その結果、この相互監視体制は急速にイギリス中でひろまり、一九八六年には約八千ものそうした組織が存在していたという。
もちろん、このタイトルが皮肉な意味合いで使われていることは言うまでもない。
●「花婿は消えた?」
原題の A Case of Mis-Identity が指し示しているように、『シャーロック・ホームズの冒険』に収められた有名な作品である「花婿失踪事件」A Case of Identity をそっくりそのまま下敷きに使って、そこにデクスター一流のダブル・ツイストを加えたもの。さすがに依頼人の名前などは変えてあるが、ホームズの推理に至るところまでは細部もほとんど原作を拝借していて、その範囲でデクスターが加筆しているのは地下鉄に関係する場所探しあたりしかない。これで原稿料を頂戴しようというのはちょっとあざといような気もするが、まあその後が痛快だから許してしまおう。
なお、デクスターの作品はこの「アイデンティティ」または「ミス・アイデンティティ」(すなわち正体誤認)をテーマにしたものが多く、本短篇集もその例外ではない。全十作のうち、いったい何作がそれに該当するか、数えてみてほしい。
●「内幕の話」
The Inside Story とは、「内幕の話」であると同時に、虚構内虚構として短篇小説が埋め込まれているという趣向を指す。このように、テクストを小さなサブテクストの織物として構成するのは、最近のデクスターに顕著な傾向である。その意味で、この中篇はデクスターの長篇への格好のイントロダクションの役割をはたすだろう。
●「モンティの拳銃」
タイトルがいまひとつピンとこない向きもあるかもしれないが、拳銃をフロイト流精神分析では典型的な弾痕じゃなかった男根シンボルと見立てれば、この短篇の艶笑譚的な性格は明らかになる。ついでに言うなら、このリボルバーは六連発だろうか?
ここで言及されるモンティことバーナード・モントゴメリー陸軍元帥は実在の人物で、とりわけ第二次大戦中の一九四二年にエジプトのエル・アラメインの戦いで第八軍団を指揮したことで知られる。このエル・アラメインの攻防戦は、『謎まで三マイル』において鍵となる過去の出来事として使われていたから、デクスター愛読者はきっと御記憶のことだと思う。
疑問をひとつ。コインを投げて、七回続けて表が出る確率はたしかに一二八分の一だが、だからといって、六回続けて表の出たコインをもう一度投げて今度は裏が出る確率は一二八分の一二七だということにはならない。コインには記憶装置がないから、やはりその確率は二分の一でしかないのである。だとすれば、この短篇のエンディングはどうなっているのだろうか?
最後に。わたしのいちばんのお気に入りは、微苦笑を誘う落ちが愉快な「ドードーは死んだ」だが、それに限らずどの作品も、デクスター得意のドンデン返しが充分に楽しめるものばかりで、長篇が圧倒的な主流を占める今の時代にあって、短篇集の愉しみを満喫させてくれるこの『モース警部最大の事件』は、やはり貴重な一冊だと言わねばならない。