13 Iain M. Banks, Feersum Endjinn (1994)
恐怖の武器
いきなり翻訳講座めいて恐縮だが、イアン・M・バンクスの最新作であるFeersum Endjinn (1994)から抜き出した次の一節を和訳してもらおう。
Woak up. Got dresd. Had brekfast. Spoke wif Ergates thi ant who sed itz juss been wurk wurk wurk 4 u lately master Bascule, Y dont u 1/2 a holiday? & I agreed & that woz how we decided we otter go 2 c Mr Zoliparia in thi I-ball ov thi gargoyle Rosbrith.
訳のわからないハナモゲラ語みたいだが、英語崩れであることは確かだから、とにかく口に出して発音してみればおぼろげながら意味はつかめてくる。まず奇妙なのは、4だとか1/2とか2といった数字が連発される点。これは4=four=for, 1/2=half=have, 2=two=toと読み替える(ただし、この言語実験小説ではこの解釈がつねに絶対でもなく、2がtoのときもあればtooのときもあるし、たとえばb4はbeforeだと臨機応変に対処する必要がある)。さらに、uとcは基本単語で、u=you, c=seeである(後では、c thi c=see the seaなんていうとんでもない例も出てくる)。最後にI-ballはeyeballのことだと見当がつくから、これで全文を普通の英語に書き直して、仮の訳をつけるとこうなる。
Woke up. Got dressed. Had breakfast. Spoke with Ergates the ant who said it's just been work work work for you lately master Bascule, why don't you have a holiday? and I agreed and that was how we decided we ought to go to see Mr Zoliparia in the eyeball of the gargoyle Rosbrith.
[起きた。服を着た。朝飯を食った。蟻のアーガティーズと話をすると、バスカル御主人様は最近仕事仕事仕事ばかり、休みでもお取りになったら?と言う。それもそうなので僕たちは怪物像ロスブリスの目玉にいるゾリパリア氏に会いに行くことにした。]
この小説を手短に要約することは難しい。説明を抜きにして書くと、舞台は遠い未来のアメリカ中西部らしい山脈地帯で、社会的には中世に退行した世界。ここでは人々はコンピュータによって制御されたVRとして死後の再生が可能なため、何度も死ぬことができる。その世界に、いま終焉が近づきつつある。その危機を救う鍵を握るのが、最初に紹介した一節に登場する、蟻をペットとして連れている若者バスカルだ。彼がただ一人の語り手なら、たいていの読者はうんざりしてしまうかもしれないが、幸いなことに彼が受け持つのは、この小説を構成する物語の糸四本のうちの一つであり、読者はしばらく彼の語りに耳を傾けるとすぐに慣れて、その文章がなかなかの快感になってくる。四つの物語はそれぞれ異なる語りの手法とスタイルで書かれ、それが次第にからまりあう形で、世界の迫りくる終焉を背景に、本書の結末へと収斂していく。
御存知のとおり、イアン・M・バンクスとは、日本では『蜂工場』(1984)の作者として知られるイアン・バンクスがSFを書くときに用いる名前である。Feersum Endjinn はそのM・バンクス名義の第五作目に当たるが、これまでの四作と比べると長さこそ短いものの、先ほど味見をしてもらった言語実験や、語りの重層性、それにプロットのひねりぐあいなど、バンクスSFの中で随一なのは明らかだ。要するに、この作品を読み通すにはかなりの知性と忍耐が必要とされるわけで、これはバンクスが読者を選んでいるということなのだろう。逆に、イアン・バンクス名義の最新作であるComplicity (1993)は、かなりミステリーに接近していて、彼の全著作中でも最もリーダブルなものである。この奇妙な現象を考えると、ますますバンクスという作家が不思議に思えてくる。いわば、自分が設定したはずの二つの自己という境界を、自分でクロスオーヴァーしている変な男だと言えようか。
出版当時の広告では、「九〇年代の小説家たちに挑戦状を叩きつけた」という、文字どおりfeersum
endjinn (=fearsome engine「恐怖の武器」)であるこの作品、聞くところによれば翻訳が予定されているとのこと。ご覧いただいたように、一見翻訳不可能に近い作品だけに、どのように料理されるかがいまから楽しみだ。