TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

若島正


27 William Hjortsberg, Nevermore (1994)


B級のB級たる所以


 今は亡きサンリオSF文庫の巻末に付けられた「以下続刊」の案内を眺めていると、奇妙な眩暈に襲われることがある。それはまるで、スタニスワフ・レムの『完全な真空』に出てくる、存在しない架空の書物のリストのように見えてくるのだ。その中で、将来的にも絶対に存在しえないが、それだけにもし存在していたら……と夢想を誘われる最右翼は<トーマス・ピンチョン『ロット49の叫び』寺山修司訳>だ。もちろんこの小説そのものの翻訳は現在読めるわけだが、寺山修司訳は読めない。これはいかにも寺山的な状況ではないだろうか。この他にも、<レイ・ブラッドベリ『電気にしびれて』今江祥智訳>(この邦題も、ペーパーバック専門の古本屋だった神田神保町の東京泰文社が腰巻に付けそうなタイトルで懐かしい)、<ブライアン・W・オールディス『頭の中の裸足』池澤夏樹訳>(これは凄い。今からでも遅くはありませんよ、池澤さん!)といった思わず唸る組み合わせに加えて、<エーイ・コパード『郵便局の蛇』荒俣宏訳>という思わず首をひねるのもある(『郵便局の蛇』はたまたま今年出たが、それにしてもエーイとは! おそらく、荒俣氏と電話口でやりとりしただけの編集者がこの広告文を作成したのか)。

 それはともかく、この文庫で翻訳デビューした作家に、ウィリアム・コッツウィンクルがいる。彼もこの連載でいつか取り上げることになると思うが、それではサンリオSF文庫で出た作品のタイトルは? これを知っている人はよほど記憶力のいい人で、正解は『バドティーズ先生のラヴコーラス』。これは驚きを通り越してあきれてしまうほどにひどい。これなら、『愛と哀しみの××』を連発し、ジェイン・オースティンの『分別と多感』を『いつか晴れた日に』と変えてしまう映画配給会社のセンスのなさの方がまだましなくらいである。コッツウィンクルの怪作の原題は、そのものずばりThe Fan Manであり、扇風機を持って歩きまわる男が主人公なのだから、誰が考えても(というか、何も考えなくても)『扇風機男』しかないのに。これなら多少は話題になったのではなかろうか。

 いやいや、今回はコッツウィンクルについて書く予定ではなかった。実は、コッツウィンクルに典型的に代表されるような、B級作家について書くつもりだったのである。映画にB級映画というものがあり、それを珍重するマニアがいるように、小説にもそれと同等のB級小説あるいはB級作家というものがあって、過大な期待さえしなければそれはそれなりに楽しめるのではないか、というのがわたしの意見なのだ。たとえばコッツウィンクルの場合なら、いろいろと妙なものを書く才能はたしかに認められるが、作者自身もB級でどこが悪いと居直っているような感があり、その限りにおいてはつまらない。しかし、B級小説として読んだときに、『扇風機男』は忘れがたい傑作である。なにしろ、1章がそっくりそのまま記憶に残るという小説は、そうざらにあるものではない。

 これから紹介するウィリアム・ヒョーツバーグも、いわばコッツウィンクル系のB級作家である。もちろん、映画『エンゼル・ハート』の原作になった『墜ちる天使』は御存知だろう。あれこそがB級小説の傑作というものだ。オカルトとハードボイルドという、およそ縁がなさそうな二つのジャンルを強引にミックスして、あれくらいの小説に仕立ててくれれば文句はない。そのヒョーツバーグの最新作を暇つぶしに読んでみる気になった。それがNevermore (1994)である。見ればおかわりのとおり、タイトルはポオの有名な詩「大鴉」のこれまた有名な繰り返しの言葉から取られている。そして、そこから想像できるように、これはポオの短篇群を趣向に使いながら、『墜ちる天使』に続いてオカルトとミステリーをミックスした作品だ。

 舞台は一九二三年のアメリカ。心霊術の講演旅行にやってきたコナン・ドイルが、魔術師ハリー・フーディーニと出会う。フーディーニはあらゆる心霊術はトリックのあるペテンだという意見の持ち主だが、二人の間には友情が生まれる。そこに、ポオの短篇小説を真似た連続殺人事件が起きる。第一の事件は「モルグ街の殺人」風で、被害者の女性が深夜に類人猿らしき獣によって運ばれているところを目撃したという通報が警察に入る。第二の事件は「黒猫」風で、被害者は猫と一緒に壁の中に塗り込められているところを発見される。そして第三の事件は「マリー・ロジェの謎」風で、被害者の名前はメアリー・ロジャース。この連続事件の被害者たちは、いずれもフーディーニに関係のある人間ばかりだった。自分が狙われていることを知ったフーディーニには、犯人の可能性として思い当たる人物が一人いた。それは、彼を魅惑してやまない、古代エジプトの女神イシスの生まれ変わりだと信じている美しい女霊媒師だった……。

 これが簡単なアウトラインだが、ドイルがポオの亡霊に何度も出会ったり、ポオの短篇としては前記の他にも「早すぎた埋葬」「赤い死の仮面」「振子と陥穽」「告げ口心臓」「長方形の箱」などが用いられたり、多数の有名人が脇役として登場したり(デイモン・ラニヨン、リング・ラードナー、W・C・フィールズ、バスター・キートンなどなど)と、スタア総出演のハリウッド映画を観ているようにお楽しみが多くて飽きさせない。とりわけ、デイモン・ラニヨンは新聞記者として出てくるのだが、その文体模写が堂に入っていて実に秀逸。メイン・プロットの方は、フーディーニとドイルがそれぞれホームズとワトソンのような役まわりになって進行する。肝心の謎解きは凡庸で、『墜ちる天使』に比べれば数段落ちるとしか言いようがないものの、エンターテインメントに徹したB級小説にそれを望むのは酷だろう。

(初出 『ミステリマガジン』96年11月号)
upload 98/10/20


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