TWICE TOLD TALES

Book Review Archive

若島正


3 Peter Straub, Ghost Story, 1979


わたしはあなた


 ホラー小説およびホラー映画の中毒息者にとっては聖書にも等しい、スティープン・キングの超マニアックな評論集『死の舞踏』には、モダン・ホラーを論じた章があり、そこで大きく取り上げられている作品を順に列挙すると、次の十作である。

 ピーター・ストラウブ『ゴースト・ストーリー』

 アン・リヴァース・シドンズ『隣の家』(未訳)

 シャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』

 アイラ・レヴィン『ローズマリーの赤ちやん』

 ジャック・フィニイ『盗まれた街』

 レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』

 リチャード・マシスン『縮みゆく人間』

 ラムジー・キャンベル『母親を喰った人形』

 ジェームズ・ハーパート『霧』

 ハーラン・エリスン『奇妙なワイン』(未訳)

これと、巻末に付けられた約百冊のモダン・ホラー小説のリストを眺めていると、わたしのようなリスト愛好家は時間のたつのを忘れてしまい、手持ちのものや読んだものにチェックを付け、さらにはベスト何冊かを選んだりしてしまうのだが、この前記の十冊のセレクションに、若干の異議がないわけでもない。まずエリスンがここに入ってくるのは、どうしても違和感があり、このリストに短篇集を一つ加えるとすれば、現在の目で見れば文句なくクライヴ・バーカーの『血の本』シリーズになるだろうし、もうすこし古いものだと、ロパート・エイクマンのどれかを選ぶに決まっているではないか。(とは言っても、エイクマンのような渋い味は、きっとキングの好みではないんだろうな。わかります。)シドンズの『隣の家』だってそうだ。もしここに、純粋のホラー作家ではない一般的なベストセラー作家のものを入れるなら、断固トマス・トライオンの『悪を呼ぶ少年』だ。もうすこしひねるなら、アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』にする手だってある。(わたしはあまり買いませんが。)イギリス作家でも、ハーバートの『霧』はまあ納得できるとして、キャンベルの『母親を喰った人形』は弱い。これはキングも認めていることだから仕方がないが、キャンベルはどう見ても後期の作品群のほうがはるかにうまくなっているので、他のものを選びたいところだ。ブラッドベリとマシスンが入るのは当然として、どれを入れるかはおそらく個人の好みによって違ってくるだろう。ただ、長篇となると、キングが選んだようになるのはやむをえないか、という気はする。(結局、二人とも本質的には短篇作家なのだ。)フィニイについては、やはり『盗まれた街』はノスタルジア作家としての彼の本領から外れるので、躊躇せざるをえない。わたしだったら、フィニイの代わりにフリッツ・ライバーを入れますね。ということで、わたしが双手を挙げて賛成なのは、残った三冊しかない。すなわち、ストラウブの『ゴースト・ストーリー』、ジャクスンの『山荘綺談』、レヴィンの『ローズマリーの赤ちやん』である。(もちろん忘れちゃいけない、キングを一冊入れるなら、『IT』で決まり。)

 なんのかんのとキングに文句を付けたが、要するに言いたいのは、『ゴースト・ストーリ−』がモダン・ホラーの歴史に残る大傑作であること、それだけだ。キングがリストの先頭にこれをもってきたという、その事実だけを見てもそれは一目瞭然ではないか。このような傑作が、発表以来十五年も翻訳紹介されず、わが国でのストラウブ評価が遅れた原因となったことは、借しみても余りある痛恨事だ。(あれ、よく考えてみれば、その責任の一端は訳者すなわちわたしの怠慢にあるんですね。どうかお許しを。)

 キングの『ゴースト・ストーリー』論は、当然ながら、これまでに書かれた『ゴースト・ストーリー』論の中で最高のものになっている。この分析を読めば、『ゴースト・ストーリー』についてものを言う気力が失せるほど、実に的確な批評になっていて、とりわけストラウブのホラー小説第一作『ジュリアの館』に共通する場面を指摘しているところなどは、やはり実作者は強い! と思わず捻ってしまう眼力の鋭さだ。従って、もうここで訳者の出る幕はなく、ただ『死の舞踏』をお読み下さいとおすすめする他はないのだが、キングの問い合わせに答えて、ストラウブが自作についておそらく私信で語っている部分があり、それはここでもう一度引用する価値があるように思えるので、以下に紹介しておこう。(なお安野玲氏の翻訳を参考にさせていただいた。)

 私はいままでよりも、もっともっと大きいことを本当にやってみたかった。大きいキャンバスに描いてみたかったのだ。『呪われた町』は、大勢の脇役たちの中に埋没せずにそれができるということを教えてくれた。大きいキャンパスの他に、私は効果もある程度大きくしてみたかった。……私には、ホラー小説というものは、朦朧としてロウ・キーで抑制されたものが最上だという観念がしみついていた。『呪われた町』を読んでみると、そうした考え方が自滅的であることに気がついた。ホラー小説が最上なのは、どでかくて派手で、ホラー小説の本質的な機能が自由に解き放たれたときなのだ。従って、「拡大」は効果の拡大でもあり、大きなクライマックスにもっていき、これまで以上の緊迫感を作り上げ、どでかい恐怖を書き込んでみたかった。要するに、私は大それた野望を抱いたのだ。私の頭の中にあったのは、思いっきり文学的な作品にしたいというのと、それと同時に、考えつくかぎりのありとあらゆる幽霊の出し方をやってみたいということだった。それに、リアリティをもてあそんで、登場人物たちに何が本当にリアルなのか混乱させてみたかった。そこで私は、登場人物が自分を次のように思う場面を書き込んでみた。@小説の中の役割を演じているA映画を観ているB幻覚を見ているC夢を見ているD個人の秘められたファンタジー世界に投げ込まれている。こうした類のものは、ホラー小説が得意とするところで、本質的に向いているのである。この素材は、本質的に馬鹿げていて途方もないとも言えるが、またそれゆえに、登場人物たちが理性ではインチキだとわかっているようなこうした場面に次から次へと翻弄される物語がちょうど似合っている。そして、この手のプロットは、一団の人物たちが物語を語るところから生まれるのがうってつけだと、私には思えた。そうした自己言及的な小説は、いつも私に深い満足感を与えてくれるのだ。もし物語の構造が出来事と関連しているならば、その小説はさらに豊かな響きを持つのである。

ストラウブ自身が言うように、この小説は壮大な野心に貫かれている。古今東西のありとあらゆる怪奇譚から、魔性の女、吸血鬼、狼男、悪魔との契約などなどといったおなじみのテーマを総動員して、それを一つの原型に流し込むこと。メタフィクションという当節流行の文学的仕掛けを用いながら、しかもそれをエンターテインメントの手法で書き切ること。こうした破天荒な試みに挑戦して、ストラウブはみごとな成功を収めた。その意味で、この作品は究極の「魔性の女」小説であり、究極のメタホラーである。

 この小説でわたしが好きな場面をニつだけ挙げておこう。その一つは、ストラウブの分類によるDで、ルイスが森の中で自分の寝室のドアを見つけて、その中に入っていく場面。ここはキングもわざわざ脚注として取り上げているほどで、本書の白眉の一つと言ってさしつかえないだろう。そこでルイスの眼前に次から次へと展開される七変化は、本書全体に繰りひろげられる〈内なる悪〉と〈外なる悪〉のめまぐるしい変転や、語りの変化とも呼応して、『ゴースト・ストーリー』のあざやかな小宇宙を提示している。さらに、@に分類される、ジムとピーターがアンナ・モスティンの家に忍び込もうとして、突如どこからともなくジャズ音楽が流れてくるのを耳にする場面。(ストラウブは大のジャズファンである。)ここは本当に怖い。ジムとピーターは、それがドンの執筆中の小説に出てくるラビットフット博士が率いる楽団の演秦だとは、まだその時点では知らない。しかし、ストラウブの巧みな構成で、われわれ読者はそれを知っている。つまり、登場人物たちよりも読者にとって怖い場面なのだ。「わたしはあなた」というのが、この小説を支える基本的な主題であり、外的な恐怖は内面化されるが、それはなにも登場人物だけに限るわけではない。内面化された恐怖がただちに読者の恐怖につながるだけの力が、この小説にはある。われわれは、張りめぐらされた鏡をのぞきこんで、この『ゴースト・ストーリー』というメタホラーの世界にとらえられる。そこからの出口を探そうと思えば、さらにストラウブにつきあって、〈ブルー・ローズ〉三部作と呼ばれる『ココ』『ミステリー』『喉』を読むしか手はないのだが、そこにもまた、出口のない心の奥底の恐怖が待っていることだけは、保証してもいい。

 わたしが本書に初めて出会ったのは、もう何年前のことになるだろうか。学会で東京出張の折りに、この小説一冊だけを鞄に入れていったのが、今にして思えばすべての始まりだった。出張とは小説を読む時間だと決めているわたしは、ホテルのベッドでさっそくこれを読み出した……そして、止まらなくなった。翌日になっても、ホテルの部屋に閉じこもって読み続けた。そうしてついに読み終わったのは、三日目の明け方近くだったことを鮮明に憶えている。わたしは久しぶりに充実した出張だったという妙な快感を味わったのだ。

 その読書体験があったため、本書の翻訳の話が来たときには、すぐさま飛びついた。さてそれからが苦しみの連続で、仕事は一向にはかどらず、ストラウブの代表作を是非とも紹介しなくてはという義務感との板挟みになったまま、数年が過ぎた。自分に鞭打つために、大学の授業でこれをテキストに使ったりもした。授業が終われば夜の六時という、この小説にはうってつけだが、普通の学生にとってはつらい時間帯に、辛抱して最後までついてきてくれた約三十名の諸君にはいろいろと教わることも多かった。とりわけ、京都大学文学研究科修士課程の板倉厳一郎君には、翻訳の作業を全面的に手伝ってもらった。実質的には彼との共訳と言えるものだが、最終稿の貴任はすべてわたしにある。ここで、こうした学生諸君や、最初に声をかけていただいた風間賢二氏、そして最後までご迷惑をおかけした、早川書房の但当者である松木孝と村上和久の両氏に、厚くお礼申し上げたい。さらには、この翻訳を首を長くして待っていただいた、数多くのホラー小説ファンの方々にも。

 なお、テキストは一九八○年にボケットブックスから出たぺ−パーバック版を使用した。一九七九年にイギリスで出ているハードカヴァー版と照合すると、かなり重大な異同がいくつかある(たとえば、アルマが関係していたらしい「XXX」は、初版では「OTO」となっていたりする)ので、迷ったうえでの決定である。ペーパーバック版にも、明らかな誤植や辻褄の合わない部分があり、そういう箇所については最小限の修正をほどこした。読者のご了解を願いたい。

 とにかく、今は『ゴースト・ストーリー』の呪縛からやっと逃れることができて、ホッとしたというのが正直なところである。あとは、このモダン・ホラーの大傑作が、大勢の人々に読まれることを祈るだけだ。



(初出 ハヤカワNV文庫『ゴースト・ストーリー』訳者あとがき)
upload 98/10/20


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