9 Brian Aldiss, Barefoot in the Head, 1970
ニュー・ウェーヴの代表作
最近読んでいるSF本で、何がいちばんおもしろいかといえば、それはもちろんジョン・クルートとピーター・ニコルズ編の『SF百科事典』(一九九三)である。約十五年前に出た旧版も愛読書のひとつだっだが、今回の新版はそれを大幅に増補改訂したもので、一三○○ページを越える大書になっている。ジャック・サリヴァン編のペンギン版『幻想怪奇百科事典』(一九八六)と並んて、この百科事典は読み出したらとまらない。膨大な項目が織りなす情報のネットワークを、ある関心に従って恣意的に、あるいはまったくアトランダムに、あちこち拾い読みしていると、ついつい時間を忘れてしまう。
そうした自由な経路をこしらえるのも百科事典を読む楽しみのひとつなら、馬鹿正直にAの項目から順に読んでいくのもまた百科事典の正しい読み方である(なにしろ、でたらめに捨い読みすると、読み落としてしまう項目が当然出てきますからね)。そこでわたしは、まずAの項目を熟読することにした。新版ではマーティン・エイミスが入り、親子が並んで載ることになったのは、場所が場所だけになぜか不思議な気がする。「アメージング」の項目を眺めていると、ついつい本棚からレオ・マーゴリーズ編の傑作選をとりだしてきて、未読の作品を何篇か読んで時間をすごすはめになる。そしてわたしがいちばん気になるAの作家は、アシモフでもアンダーソンでもなく、やはりオールディスである。
以前から読みたいと思っていた未訳のBarefoot in the Headが、ブランツ社からペーパーバックで久しぶりに再刊されたこともあって、かつてのニュー・ウェーヴの代表作のひとつとして名高い(が、あまり読まれているようには思えない)この作品を、この機会に読んでみることにした。ちなみに、このペーパーバック版の表紙には、『SF百科事典』中の「驚くぺさ力業」という評価が惹句として引用されている。
この小説の舞台は、アラブにドラッグ爆弾を投下されて、過去現在未来がべったりくっつき、現実と妄想の境界が消滅したヨーロッパ。その混沌とした世界に、多岐性を唱える一人の若者が新たな救世主として現れる。彼の名は、コリン・チャータリス(これはミステリではおなじみの、《セイント》シリーズで有名なレスリー・チャータリスからの借用である)。この世界では、現実が融解してさまざまな可能性がとりこまれるように、言葉どうしも融解して合体する。たとえばBarefoot in the Headというタイトル。これは日本ではどういう仮題で紹介されていたのか知らないが、主に〈ニュー・ワールズ〉誌に分載されていた六○年代後半にはニール・サイモンのコメディBarefoot in the Parkが映画にもなったことを考えると、原文の文脈からずれるので多少まずいが、『裸頭で散歩』とでも訳しておこうか。
つまりこの作品は、たとえてみれば、バラードの『クラッシュ』にディックのドラッグ小説をミックスして、それをジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』風の言語ならぬ幻語で書いた再臨物ということになるだろう。おそらく当時はこれがいわゆる「難解な言語実験」として読者に敬遠されたのだろうが、恐れる必要はまったくない。『フィネガンズ・ウェイク』に比べれば、『裸頭で散歩』はせいぜいルイス・キャロル程度である(「ぼくにルイス・キャロルを引用しないでくれ」という主人公の台詞もあるので、オールディスに申し訳ないが)。そう思えば、バラードもディックもジョイスも経過した今のわたしたちには、『裸頭で散歩』は完全なエンターテインメントとして楽しく読めてしまうのだ。時代は変化したということなのか、なにやら複雑な気分になるが、ニュー・ウェーヴの難解と言われた作品群をそろそろ現在の目で読み直す時期にきているのではないだろうか。