柴田元幸氏
1 Steven Millhauser, August Eschenburg
(一番「自分が書いたことにしたい」と思う本)
2 Richard Powers, Three Farmers on Their Way to a Dance
(いま訳している本)
3 Lawrence Weschler, Mr. Wilson's Cabinet of Wonder
(ここ一年くらいで一番面白かった本)
4 Thomas Pynchon, Mason and Dixon
(いま読んでいる本)
5 若島正 乱視読者の冒険
(名著)
宮脇孝雄氏
1 Graham Greene, The End of the Affair
(生まれて初めて感心した小説)
2 Ford Maddox Ford, The Good Soldier
(その直系の先祖)
3 Patrick McGrath, Dr. Haggard's Disease
(その子孫)
4 Samuel R. Delany, The Mad Man
(今読んでいるところ)
5 Irwin Shaw, Short Stories : Five Decades
(短篇の話も)
若島正氏
1 Alain de Bottom, How Proust Can Change Your Life: Not a Novel
(最近読んだものから。ハウツー物の形式を借りたプルースト論でありまた読書論)
2 G. Cabrera Infante, Holy Smoke
(翻訳中のものから)
3 Richard Wright, Native Son
(初めて英語で読んだ小説)
4 Anonymous, My Secret Life
(これまでに読み直した回数がおそらく最も多い本)
5 Leo Tolstoy, Anna Karenin
(大きい小説)
1 今読んでるのは…
柴田 今読んでいるのはピンチョンの新作なんですけれど、まだあと500ページくらい残っているんですよね。若島さんはもう読まれましたか?
若島 いいえ。うちの大学にピンチョンを読んでいる学生がいるんですけど、彼が一足さきに読んでいて、結果報告をしてくれました。彼が言うには、最初の100ページを読むのはしんどいけれど、それを超えるとなかなかノレますよ、と。
柴田 何かね、彌次喜多みたいなんです(笑)。メイソンとディクソンという二人が登場人物なんだけど、この2人が旅先でいろんな人に会う。ぜんぜん形而上的じゃなくて、おもしろいんですよね。小説の舞台は18世紀ですが、むしろ「東海道中膝栗毛」のような感じ。でもこの小説を読んでると、まだ自分がこんなに知らない単語があったのか! と驚いてしまいます。
宮脇さんがあげられたパトリック・マグラアの“Dr.Haggard's Disease”は僕も好きで、いまはマグラアの新作“Asylum”を読んでいるところなんですが、今までの作品とちょっと違う感じがしますね。
宮脇 そうですね。柴田さんはマグラアにインタビューなさっていましたね。
柴田 ああ、あれはね、電話インタビューだったんですけど、彼、二日酔いだったみたいですね(笑)。彼は今、ロンドンとニューヨークを行ったりきたりしていますが、1作目以降、どんどんイギリスに回帰していっているような気がします。
宮脇さんは、これからもずっとマグラアの作品を訳されるですか?
宮脇 ええ、一応。僕は最初マグラアという作家をぜんぜん知らなくて翻訳を引き受けたんですが、そのときは、ああ、何かヘンな作家がでてきたなあ……って思っていたんです。そのころはどういう人物なのかまったくわからなかったんですけれど、去年かおととし、突然新聞に「パトリック・マグラアの死亡記事(オビチュアリ)」が載っていて、それがすごくデカい記事なんですよ。どういう人なんだろうって思って記事を読んだら、どうも死んだのは彼のお父さんらしい。イギリスの精神医学会のえらい人なんですって。記事の最後に、「息子も同名で小説を書いている」ってありました(笑)。ちなみに彼のおばさんもイギリス法医学界のトップで、そういう一族なのか……とびっくりしましたね。
2 いかにして本から離れるか?
若島 Alain de Bottonの“How Proust Can Change Your Life: Not a Novel”は、ハウツー本の形式を借りたプルースト論であり、読書論なんですけれど、すごくまっとうな本ですね。「小説ではありません」ってところがミソですよね。
柴田 Not a Novelですね。
若島 彼はもともと小説のネタは一つ――恋愛なんですね。そのうち“Essays in Love”〔アメリカのみOn Love〕は、単に男の子と女の子が出会って、という内容ですが、その中のところどころに恋愛に関する哲学めいた断章が挿入される。こういう形式のものはけっこう日本でもウケるような気がするんですが。
柴田 実は今、僕の知り合いが訳している最中なんです。その後、“How Proust...”を訳すらしい。
若島 昔でいえば福永武彦のような感じ――正直でまっとう、という感じなんですが、提示の仕方がしゃれている。今ふうにいろいろなものが引用されているし、けっこう笑えるところもあるんです。僕たちは読書しているときに、登場人物を自分の周りの似ている人に引きつけて読むことがありますが、それはボトンに言わせると「本を生かす読み方」なんだそうです。たとえばアルベルティーヌという女性が出て来るんですけど、それが自分のガールフレンドのケイトに似ているらしい。それで自分の本にケイトの写真をのっけているところとか。
あと僕たちのような商売をしている者に耳の痛い話ですが、How to Put Books Down(いかにして本をやめるか)という章で、プルーストを読んでいて、それに入れ込んだあげくどうなるか、というと、プルースト教信者になってしまってはダメだ、と。プルーストの研究者になって、プルーストについて論文や原稿を書いてしまうのは、ダメだ、ということですね。プルーストにハマったら、プルースト参りをしにコンブレーに行く。そしてそこにはおみやげやさんがあって、プルースト・グッズをたくさん売っている(笑)……ここまで行く前に、いかにして本から離れていくかということが、プルーストを読む上での最大の教訓なんだ、と。そういう意味でこの本は一種の反・読書論みたいにもなっているわけです。
柴田 まだ20代ですよね、この作家。書ける人だと思いますよ。
3 オーディオ・ブックの効能
若島 “Re/Search”の特別号で読んだんですが、女優のジェーン・マンスフィールドが「シェイクスピアを読む」というビニール盤のレコードを出しているらしいんです。これはぜひ聞いてみたい一品なんですが。
宮脇 最近テープに新作の小説を吹き込む形は多いですよね。日本ではあまり普及していないけど。
若島 定価が高いですからね、日本では。
宮脇 文化の違いなのかもしれないけれど、向こうの人はよくテープ、聞きますよね。
柴田 そうですね。車通勤だからかなあ。だいたい車の中で聞いているみたいですね。
宮脇 オーディオ・ブックって、実は翻訳するとき便利なんですよね。固有名詞の読み方とかがわかるから。
若島 それは気がつかなかった。
柴田 僕の訳すものには、テープになっているのはないなあ…
宮脇 便利なので僕は時々聞くんですけれど、あれは小説を完全に読んでいるわけではなくて、いわゆる抄録なんですが、その省略の仕方がうまいんですよね。特にエンタテインメント系の作品だと、余分な描写や登場人物がとっぱらわれていて、オーディオ版のほうがかえって面白かったりして。
柴田 オーディテープ・ガイド・ブックには、「これは読みがいい」とか「悪い」とか出ていますからね、ちゃんと評価の対象になっている。その辺は日本よりもアメリカのほうが進んでいますよね。
宮脇 イギリスではラジオ・ドラマがさかんですよね。ラジオで放送したものをそのままテープに収録して売っている。新刊をすべてオーディオ・ブック化するというのは、アメリカ的発想なのでしょうか。
若島 本だとゆっくり考えながら読むクセがついているでしょう。テープだと、その場で理解できないとダメですね。音についていく訓練が必要でしょうね。
4 本を読む速度について
柴田 そう言えば、若島さんは本を読むスピードは一定である、という考えをお持ちだとか?
若島 どれくらいの速度なのか、自分で計ったことがあって。最初読み始めのころは1ページ2分くらい。そのペースで読んでいければ、1冊の本をわりと早く読み終わるはずなんですけれどね。
柴田 後半はスピードが落ちるのですか?
若島 いや、終盤100ページくらいはもっと速くなる。とはいえ、途中でブレイクしたりもするから、トータルするとけっこう長い時間がかかってしまいます。でも時々自分のペースよりも明らかに速く読める本というのがあって、これは要注意なんですね。特に小説だと、早く読める本というのはおかしいと思っているところがあって、たとえばシドニィ・シェルダンなんかを読んでいると、異常に早く読めてしまうんです。何かゆっくりさせてくれない。
ページ数からいうと、やっぱり200から300ページくらいが自分にとってちょうどいい分量ですね。それを超えるとちょっとキツいかな。
柴田 僕は読むよりも訳すほうが速い。そりゃ、元気なときは読むほうが速いですけれど、ちょっとくたびれていると同じところを二度も三度も読んでいたりして、そのレベルだと、翻訳の第一稿を作るほうがとりあえず進みますね。
僕は第一稿を作るのが異様に速いんですよ。書き写しているみたいって、よく言われる。翻訳しているときのほうが、頭のオン・オフがはっきりしているんですよ。もうダメだと思ったら、寝ちゃえばいいんだから。本を読んでいるときは、その境界がわからなくなって、オンとオフの間をただよっているような感じなので、時間ばっかりすぎていく……
宮脇 僕はミステリを大量に読んでいる時に、けっこういいかげんな読み方を覚えましたから。半分読んで登場人物がだいたいそろったなあというところで、結末をこっそり読む。都筑道夫さんが出版社に勤めていた頃、原書の版権をとるときに、洋書が山ほど送られてくるので、とても全部読み切れない。そこで都筑さんは、本の最初と結末を読んで面白ければ、中身を読むというふうにやっていらしたそうなんです。
あとで犯人とわかる人物が、半分くらいたっても登場してこないようなミステリは、たいがい出来がわるいんですよ。最後の10ページで新しく登場した人物が犯人だった、というミステリもありますし。
だいたい半分まで読めば登場人物は全部出てきますから、それで安心して伏線がとどれるわけですね。最初はすごく緊張するんですよ、ミステリを読むときって。1ページ目からなにかが起こるんじゃないかって、気が気じゃないから、それをずっと続けていくと1冊なかなか読みきれませんから。
昔の洋書は登場人物表がついていましたから、何となく顔ぶれがそろったなあ、というところで、結末を読むというやり方は、僕もよくやっていました。
柴田 翻訳するということを考えれば、その作品を読んでいても読んでいなくてもあまり変わらない感じがします。かえって読んでいないもののほうが、訳していくときスリルがあっておもしろいような気がする。ただ、それでつまんない作品だったら悲惨だから、もちろん先に読んではいますが。
宮脇 僕はときどき最後まで読まないで訳すこと、ありますよ。
若島 僕は大学の授業を二つに分けていて、一つは短篇を読む授業。これは1回の授業につき一つの短篇を読みます。だいたい年間で20本くらい。もう1つが長篇を読む授業。これは1年に1冊ですから、毎回の授業では30ページくらい。
こういう状態なので、自分の読んでいないものでどうしても読まなくちゃいけないものは、とりあえず授業のテキストにする。1回30ページと学生にいったら、当然自分も同じだけ読まなくてはいけないですから。というのも、結末を知っているとついつい学生に話したくなってしまうんですよね。だから学生と一緒にまっさらのなにも知らない状態で読むことにしています。
柴田 それでつまんない作品だったら、1年間不幸ですよね。
若島 そうなんです。ありえないことじゃないですからね。
宮脇 僕は翻訳学校で教えているんですが、授業のときには短めの短篇を読んでいるんです。
柴田 短めの短篇って、探すの難しいんじゃないですか? どのくらいのボリュームなんですか?
宮脇 翻訳して原稿用紙15枚くらいですから、柴田さんたちが訳された“Sudden Fiction”は重宝しましたよ。翻訳が出たおかげで、授業に使いにくくなりましたが(笑)。原書で4、5ページくらいのものが多いです。最初は生徒のレベルがわからないから、ミステリとかSF/FT系の短篇から選び、それから様子を見ながら、ややこしいものに変えていくんですけど、生徒のこれまでの体験とかそれぞれ違いますから、同じ短篇を訳させても訳文がぜんぜん違うんです。まあ、翻訳に果たして正解があるのかどうかということもありますけれど。訳本があるものと比べてみても、これまたぜんぜん違うんです。
5 自分で書いたことにしたい本
若島 アーウィン・ショーなんて都会派なんて言われていますけれど、僕なんかに言わせると、どこが都会派なのかなあって思うんです。「夏服を着た女たち」なんて、まさしくホラーですよね。とてもおしゃれだなんて、思えない。あれ、こわいですよ。
アーウィン・ショーはフィッツジェラルドのように、カンどころを押さえた大衆小説家
という感じが僕はします。
宮脇 僕がアーウィン・ショーを読み始めたのは、やはり常盤新平さんが彼の作品を訳し始めたころです。要は人のメガネで見ていたわけですけれども。
その後10年くらいたって、再読してみると、以前とはぜんぜんちがったものが見えてきて、いままで読んでいたのは何だったのかなあって、不思議な感じなんですよね。ほかにもそういう作家はいるんですけど、いちばん落差があったのがアーウィン・ショーだったわけです。とにかく読むたびに印象が違うので、訳せと言われても、これはとうてい僕にはできないなあ……なんて思いながら読んでいます。
若島 少し短篇の話をしましょうか。 柴田さんが選んだ“August Eschenburg”、これ、いい作品ですね。
柴田 ええ、この作品はぜひ理系の人に読んでもらいたいですね。
若島 主人公の人形師が雇われていたところをクビになり、仕事場を出ていこうとして、ふと自分の作った人形に目がとまる。そこで歯車を3枚抜いておこうと考えるのだけれど、思い直して、そのまま去っていく。こういう箇所がいいですねえ。
柴田 作者のスティーブン・ミルハウザーはなんと今度、ピュリッツアー賞をもらってしまったんですよ。今までずっと地味で、一部に熱狂的な読者がいるというタイプの作家だったんだけれども……いちばん新しい長篇が最初、ナショナル・ブック・アワードにノミネートされて、その後ピュリッツアーも取ったので、ろくなことにならないんではないかと。ミルハウザー好みでない読者の目にまで触れるようになって、何だよ、これはってことになりかねない。
若島 いいのか悪いのかはわかりませんけど、あまり人々に注目されず、世間からはうとんじられ、時代遅れのロマンチストという路線がいちばん合っているような気がしますけれどね。
柴田 ええ、本人もそう言っていました(笑)。
でもそういう人でもとりあえずアメリカでは大学の創作科で教えて食べて行けるというのは、いいですよね。それがなかったら、飢え死にしちゃいますもの。
それでもけっこうたいへんなようで、ミルハウザーの場合1年の半分教鞭をとっているんですけれど、教えない学期に入ると、自分の研究室を空け渡さなければいけないそうなんです。それで空いたところにまた別の作家が入ってくる。つまり二人で一つの部屋しか与えられていないわけです。
ミルハウザーの話が出たついでなのですが、どういう小説が自分にとっておもしろいかということを考えたときに、これを自分で書いたことにしたいかどうかと考えると、本当に好きな作品ってわかりますね。そりゃ、『アンナカレーニナ』もすごい小説だとは思うけれども、あれは自分で書きたいとは思いません。小説の偉大さみたいなものは感じるけれど、自分で書いたことにしたいという思いは自分のその小説への肩入れそのものがそこにあるような気がします。そう考えると、僕は圧倒的にミルハウザーの作品を自分で書いたことにしたい。
若島 宮脇さんはいかがですか、そういう観点から言うと……
宮脇 クライヴ・バーカーの初期の作品などは、まるで自分が書いたような錯覚をしそうな感じでしたけれどね。僕も訳していてああいうふうな体験は初めてでした。
柴田 訳していると、そう思うときって、ありますね。僕はポール・ボウルズの短篇「あんたはあたしじゃない」を、『ダブル・ダブル』というアンソロジーのために訳したときには、本当に何も考えずに訳せました。そういう感じで訳せたものというのは、自分がやったなかでも出来がいいですね。
若島 訳しているとき、言葉が原書から聞こえてくるような?
柴田 ええ、でもそれは単に「訳者の妄想」とも言う(笑)。
若島 自分で書けるかどうかはわかりませんが、僕が好きな短篇はコッパード。創元推理文庫から出ている怪奇小説傑作集に入っている「アダムとイヴ」というやつ、あれが最高に好きです。ただし原題は‘Adam & Eve & Pinch Me’で、Pinch Meはどうなったの、と前から思っているんですが。人形使いは人形を作るから内部がどういう構造になっていて、どういうからくりで動くかを口で説明できるだろうけれど、僕は人形が作れないので、授業のときは生徒に小説の時計仕掛けの部分、つまりからくりだけを教えるんです。この小説は中をあけてみると、こういう歯車があるからこうなるみたいな話を授業でするわけですけれども、自分にはこういう話しかできなくて……それでコッパードですけれども、ふつうに読んでもすっと内容が入ってくるし、歯車の部分をみてもよくわかるんです。そして最後には泣いてしまう。
柴田 いい小説のほうが、説明しやすいですか?
若島 そうですね。この場合は時計の中を開けてみなくてもいいですからね。授業をするときに、生徒に小説の中身をちょっと見せてあげると、自分がわからなかったことまでわかってくるときがあって。たとえばこの「アダムとイヴ」では、主人公の小説家が幽体離脱のような不思議な体験をする。その透明人間みたいになった主人公が見守るなかである少年が泉の前で小さな箱をあけると、なかから火でできた魚が飛び出して、泉をシューッと泳いでいく。そんなさまざまなエピソードがあるんですけれど、何でそんなヘンなエピソードが出てくるかっていうことは実は全部説明できる仕掛けになっているんですが、まあそれはわからなくても実際その小説を読む楽しみにはさしつかえない。と、いうわけで、コッパードの短篇は自分が書いたことにしたいと思ったりもするくらい、好きな小説なんですけれど。
宮脇 早川書房の異色作家短篇集シリーズというのがありますね。ああいう傾向の短篇は昔から好きだったんですが、あそこに入っている作家より一世代古いコパードなどは、悲しいかな、大学時代にはよくわからなかったんです。どこかメカニカルな感じがして。最近ではその時代の作家がようやく面白くなってきました。ほかにもW・W・ジェイコブズとか、デ・ラ・メアとか、怪談のウェイクフィールドなんかも入ると思いますが。
柴田 コッパードは西崎訳で初めて知って、僕もすごくいい作家だと思いました。もともと幻想小説のジャンルでは有名な作家ですけど、日本ではあまり手に入らないですね。コッパードという人はお金がなくて、陸上競技の賞金で生計を立てていたそうですね。短距離が速かったそうです。小説も短篇ばっかりだし。長篇は書かないんですかと聞かれて、「いや、おれは短距離選手だから」って(笑)。
若島 最近よく考えるんですが、小説を読んでいると、「短篇型」と「長篇型」がありますね。たとえばスティーヴン・キングなんかまさに「長篇型」の作家で、彼の場合短篇はどれを読んでもつまらない。授業でキングの作品をやろうかな、と思ったことがあって短篇をいくつか読んでみたのですが、どれもあまりおもしろくなかった。仕方なくその時は、長篇の抜粋という形にしましたが……キングは最低500ページは読まないと「スティーヴン・キング」にならないような気がします。
でも、長いものは最初に読み始めるときに度胸がいりますよね。500ページとか600ページとかのものは、それを読もうという気になるまでにけっこう時間がかかる。僕は短篇をけっこう読んでいるんですが、それには「条件」があって、お風呂の中とトイレで読んでいたんです。風呂やトイレに入る前に、今日は何を読もうかなとだいぶ考えたりしていましたね(笑)。
(97年8月22日) つづく