柴田元幸氏
1 Steven Millhauser, August Eschenburg
(一番「自分が書いたことにしたい」と思う本)
2 Richard Powers, Three Farmers on Their Way to a Dance
(いま訳している本)
3 Lawrence Weschler, Mr. Wilson's Cabinet of Wonder
(ここ一年くらいで一番面白かった本)
4 Thomas Pynchon, Mason and Dixon
(いま読んでいる本)
5 若島正 乱視読者の冒険
(名著)
宮脇孝雄氏
1 Graham Greene, The End of the Affair
(生まれて初めて感心した小説)
2 Ford Maddox Ford, The Good Soldier
(その直系の先祖)
3 Patrick McGrath, Dr. Haggard's Disease
(その子孫)
4 Samuel R. Delany, The Mad Man
(今読んでいるところ)
5 Irwin Shaw, Short Stories : Five Decades
(短篇の話も)
若島正氏
1 Alain de Bottom, How Proust Can Change Your Life: Not a Novel
(最近読んだものから。ハウツー物の形式を借りたプルースト論でありまた読書論)
2 G. Cabrera Infante, Holy Smoke
(翻訳中のものから)
3 Richard Wright, Native Son
(初めて英語で読んだ小説)
4 Anonymous, My Secret Life
(これまでに読み直した回数がおそらく最も多い本)
5 Leo Tolstoy, Anna Karenin
(大きい小説)
6 どれぐらい買うか、どれぐらい読むか
柴田 買った本は皆さん、どのくらい読まれますか?
若島 3分の1くらいでしょうか。
柴田 そんなにいきますか? すごいですね。僕は3パーセントくらいです。
宮脇 僕も3パーセントから5パーセント。
柴田 宮脇さんの場合、出版社から依頼されてリーディングで読まされるものも多いでしょう?
宮脇 最近はそうでもないですが、自分でていねいに読んだ本というのは、やはり3パーセントくらいかもしれないですね。僕の場合二十歳くらいの頃から本を読んで翻訳するのが仕事でしたから、純粋に楽しみとしての読書の時間は高校生くらいまでで、どうしても商売気が出たりしますね。
柴田 でも僕も最近は原稿を書くことに直結しない読書というのは、あまりないですね。
若島 逆に、読んでいて、ああこの作品のことはどこかで書いておかないとネタとしてもったいないな、というときもけっこうあります。
とくに僕は理学部の学生だったときに、山ほど読んでいた時期があって、その時の読書量は今の財産になっているような気がします。それを今は食いつぶしている状態ですね。でもそれってもう20数年前の話ですから、いくらなんでもその時読んでいた本の内容を細かく覚えているわけがないんです。昔読んだことがあるとはいえ、その話がどういうものか書こうと思っても、もう一度読み直さないと…
柴田 僕も読むときにべつだんメモとかは取りません。新刊紹介の連載などを雑誌で担当している場合には、半分くらい読んでみておもしろければ、よしこれでもう書くぞという気になって、あとはどこを引用するかを考えながら読むということはありますけれども。加えて、最近は本の買い方も現物を見てというより、書評などを見て通販で買うことが多いですから、パラパラっと開いて、こりゃ違うなって思う本もけっこうあります。
宮脇 僕のところも買った本はドンと積んであるだけですね。現物があれば何かの時に役に立つかもしれないと思って……
若島 あの本! と思ったときに、それが本棚にないとダメなんですよね。
宮脇 本のタイトルを見て、書く内容が固まってくることってありますからね。
柴田 もう、本に侵されているって感じですね。最近はインターネットのamazon.comなどでクリックするだけで本の注文ができますから、四六時中注文しているような感じです。
若島 僕も古本屋のカタログなどはよく見るのですが、あれは何の気なしにやっていると注文する本も数が膨大になってしまうし、ハマってしまうので、ほとんど現物主義なんです。本屋で見た瞬間、何か引き合うものがあって買う、ということが多いです。
柴田 どこの本屋が多いんですか?
若島 いろいろですね。たとえばどこかに旅行したら、電話帳でその近辺にある古本屋を探して行ってみる。なぜだかわからないんですけれど、逆に本のほうが呼んでるということがあるんですよね。あれ読みたいなと思うときに通りかかった本屋に入ると、その本があったりして。探しているときに偶然出会うんですよ、だいたい。そう言えばおもしろい話があって、僕はSFを読み始めたのは大学生のころなんですが、その時先輩に「SFはどの作家のものを読めばいいですか」って聞いたことがあるんです。そうしたらその先輩が「SFは作家のアルファベット順に読むのがいいですよ」って、言う。つまり、Aはアシモフ、Bはベスターとブラッドベリ、CはクラークそしてDはディックというように作家の名前の頭文字順ということなんですね。
それでさっそくアシモフを読んでみたんですが、正直いってあまりおもしろくなくて、次にベスターを読んだらこれが大当たり。そんな訳でSFの世界へ入っていったんですが、実はベスターには普通小説もあるらしいということを知って読みたいなあと思っていたんです。その後ある本でウィリアム・ギブスンがベスターの普通小説のことにふれていて、それを読んだらますます読んでみたくなった。
それで確かシドニーに行ったとき、ホテルの近所の古本屋で、埃だらけの雑誌や本にまじってまさしくその本があったんですよ。小説自体はあまりおもしろくなかったけれど(笑)、見つけた嬉しさは格別でした。
宮脇 僕の場合、あまり外国には行かないので、本を注文するときはアメリカとイギリスから毎月一冊ずつ薄いカタログを送ってくれるので、その中から選ぶことが多いです。やっぱり表紙を見ないとどうしてもダメだから、どちらのカタログも表紙の絵が必ず入っているんです。表紙の写真がついていると、本を買おうかどうしようか迷っているとき、背中を押してくれるきっかけになりますから。
柴田 けっこうお金もかかってしまうんですけれど、まあ、それで食っているわけですからね(笑)。学生はCDにはお金をかけるクセに、1600円の本は高いというけど。
若島 本は高いと思わないですけどねえ。
柴田 読めば、高くない。読んで高く感じたときって、まずないと思う。金返せ! などと思う本は、たぶん最後まで読めないだろうから……
若島 古書などを集めている人っていますけれど、そういう人からみれば自分は愛書家じゃないんだな、と思います。全集なんかは内容が読めればいいから、箱や帯は全部捨てちゃっていたし。あるとき古本屋で売るときに、店主に「そういうものは全部残しておいてくださいよ」といわれて、そうなのか、と思ったり。もともと本を大事にするという感じじゃないんですよ。洋書も、ハードカヴァーでもペーパーバックでもどちらでもかまわない。
柴田 本を買うときの優先順位は、もちろんおもしろそう、というのが最重要なんですが、その他にまだ知られていなそうな作家の作品というのもけっこう優先される。少なくとも翻訳するものに対してはそうです。あとは、ノンフィクションの体裁をとってはいるけど、どこまで本当かわからないっていう本は基本的に好きですね。日本の作家でいうと、別役実のエッセイみたいな感じのもの。
若島 僕の場合はターゲットにしている好きな作家のものは、全部とはいわないまでも目についたやつはできれば手元に置いておきたい。
宮脇 僕も基本的にはそうですけれど、どうしてもないやつを八方手をつくして探すことはしないですね。必要なものは向こうからころがりこんでくる、と思っているもので。
柴田 ろくに読んでいないけれど、この作家はすごそうだから要マークだな、と思って、目につくたびに買っていて、その読まない作家の作品がずらりと並ぶということもあるけれど、そういう作家は結局好きな作家ではないんだな、と思います。たとえばドン・デリーロなんかがそうですね。
とにかく、もう一生読みきれないほど本がありますから、そんなにあせって探してもしょうがないなって感じです。
7 繰り返し読む本
若島 中には繰り返して読むものもあって、“My Secret Life”という本は、まさしく何度も何度も繰り返し読んだ本です。この本を繰り返し読む理由というのは、言ってみれば「つまらない」からなんです。千何百ページあるんですけど、本当につまらないんですよ(笑)。
一応ポルノ小説ですから、その手のシーンは毎ページ出てくる。たとえば、‘Irish Kate’という話があるんですが、すごく口が悪いけれど美人の女がいて、しょっちゅう酔っ払っている。主人公の男が誘ったらすぐノッてきて、こちらが何をしてもかまわないという女のエピソードなんです。あるセックスのとき、避妊具を使った。コトが終わると、女はまたもや酔っ払って寝ている。それで主人公は避妊具を女の中にわざと押し込んでしまい、女に金も払わず部屋を出ていってしまった。それで、自分としてはなぜそういうことをしてしまったのか、わからない。今でも不思議であるというようなことを書いている。本当に信じられないくらい、なんにも考えていない奴だなあって(笑)。こういうエピソードがえんえん続くわけです。
これを読んで同じようにやりたいと思う人はまずいなくて、こんなことはもうナシにしてしまいたいと思うんじゃないでしょうか。だから本を千冊とか一万冊読んだといっても、この作品に出てくる主人公みたいに千人斬りしているのと同じことのような(笑)。
宮脇 僕も若いころ“My Secret Life”を読みましたけれど、どこが面白かったって、書いてある英語がよくわかるところですね。自分に急に英語力がついたみたいに思えて、ものすごく面白かったです。
若島 この作品を書いた男は、ほんとバカじゃないだろうかと思う箇所がたくさんあるんですよね。また、そんなバカな作品を読んでいる「私」というのはいったい何なのか……そんなことを考えるのがいちばんおもしろい。
ある意味ではそれぞれの女性とのコトのなりゆきが短篇小説みたいに読めるんですよ。全体的に見ると、単なるバカな小説になっちゃうけれど。僕は正統なポルノ小説もいろいろ読んでいますけれど、結局、何を読んでもいっしょなんですよね。でもこの“My Secret Life”だけは明らかに違う本だといえるような気がします。
8 書き直す作家
若島 宮脇さんはなぜ今ディレイニーの“The Mad Man”を読もうと思ったんですか?
これ、すごく厚いですよね。
宮脇 ディレイニーはデビュー当時から知っている作家ではあるんですけど。それで途中からすごく難しいことをやりだしたんで、買っただけで読まなかったりということが多かった。でも最近、今だったら理解できるかなと思って、まとめて読んでしまおうと――時間を作って、体調を整えて。
若島 ディレイニーは小説よりも、批評家としての文章のほうが、おもしろいような気がします。最近アメリカのマイナー出版社から、スタージョンの短篇全集が刊行中ですけれど、各巻の頭に有名な作家たちがスタージョンについての文章を寄せているんです。第2巻でディレイニーが書いているんですけれど、これがすばらしい。今まで書かれたスタージョン論の中でもいちばんいいものではないかと思うんです。レムがスタージョンの有名な‘Maturity’という作品を批判したことがあったのですが、ディレイニーに言わせればそれは的はずれで‘Maturity’があれほど有名になったのは、何度も書き直しているからだ、というんですね。もうすでに発表した作品を、他のアンソロジーに採録するときに書き直すということをやった作家がいるということは、すごいことですよ。ほとんどの作家は言葉は悪いけど、書き捨てですからね。そういうような事情をレムはご存知ない、と批判していました。
僕も好きな作品ですけど、スタージョンの‘The Man Who Lost the Sea’という短篇は、スタージョンの自評によると、書き直して書き直して、もともと十倍か、二十倍あったものが、どんどん短くなっていったんだそうです。その上、まだ切れと言われたとか。
柴田 直して作品の質がよくなる人なんですか?
若島 バージョンがいろいろありますから、読み比べができますよね。
柴田 レイモンド・カーヴァーなんかは書き直すと、よくなるというよりまったく違ったものになる感じですよね。
若島 それと似た話で、トルーマン・カポーティがあの傑作「ミリアム」を書いたとき、ある小説家に原稿を見せたら、三行けずれといわれたんだそうです。それでけずったら、「『傑作』が『名作』になった」とか(笑)。カポーティのいうことですから、本当かどうかはわかりませんけれども。じゃあ、そのけずられた三行はどんな文章だったのかというのが前々からの疑問なんです。
4 グリーンと小説の時間
宮脇 最後にグレアム・グリーンの話でどうでしょうか。“The End of the Affair”(『情事の終わり』)は、高校生のとき読んだんです。僕はもともと本なんかを読むタイプではなくて−−父も母もそうで、家の本棚には「家庭の医学」ぐらいしかない、という感じだったんですけれども−−むしろアマチュア無線が趣味の少年だったんです。マンガは好きでよく読んでいたんですが、そこからSF、そして小説へと移行していったのが中学生ぐらいのときだったかな?
SFファンは群れたがりますから(笑)、中学・高校でSFのファンクラブを作ろうということになったんです。そのファンクラブの中で、二年上で小説をよく読んでいる先輩がいて、「今度出たカート・ヴォネガット・ジュニアは面白いよ」とか教えてくれるんですよ。その彼が「すごい」といったのが、グリーンの“The End of the Affair”だった。
彼に読め、読めと勧められて、僕も読んでみたわけです。もちろん今とは違った読み方をしているんでしょうけど、ストーリーの作りといい、だまし方といい、これまで読んでいたSFとはぜんぜん違う、と驚きました。それで、これと似た小説を探して、どんどん読んでいった。
フォード・マドックス・フォードの“The Good Soldier”は、グリーン自身が『情事の終わり』のネタ本だとエッセイで明かしていますけれども、それを読んでみるとミステリの方にもつながりが出てくる。書簡集に出てくるんですが、ダシール・ハメットも“The Good Soldier”を読んで、思うところがあったらしいんですよ。
つまりハメットが考えていたのは、謎解きが文学になるかどうか、ということらしいんです。というわけで、グリーンを発端にして、ミステリのほうにつながり、ここ何十年か翻訳などをしているわけですが、その節目節目に必ず出てくる感じで、今だに記憶に残っている作品です。
柴田 それはグリーンの他の作品に広がるというより、むしろ他のぜんぜん違うところへ広がっていくような感じですか?
宮脇 そうですね。むしろ、ああいう小説の書き方に感動したのかもしれません。一人称の語り手がいて、思い出すままに物語を語る。時間は一直線に進むかもしれませんが、人間の記憶は時間の中を行ったり来たりする。文学史上、語りの非連続性がそのまま小説の技巧になっている作品群がありますよね。英文学史に限って単純に言えば、コンラッドの『ロード・ジム』あたりから、コンラッドの編集者だったフォード・マックス・フォードの“The Good Soldier”を経由して、グリーンの『情事の終わり』につながる、という。マグラアの“Dr.Haggard"s Disease”も、その系譜に入るでしょう。喧嘩と火事は江戸の華、というのと同じ意味で、これは小説の華だと思います。まあ、このタイプの小説は謎解きの興味でも読めますから、ミステリ屋にも面白いんです。
“The Good Soldier”を読むときは、タイムテーブルを作りながら読んだんですが、どうしても矛盾が出てきて、いまだによくわかんないです。ややこしいんですよね。
若島 僕も“The End of the Affair”は 若い頃読みました。でもその時は、よくわからなかった。今回この座談会のためにもう一度読み直してみたんですが、やっぱり奥が深いですよね。こういう難しい話をよくこれだけメチャクチャおもしろく書けるな、というのが驚きです。とりわけ、語り手のベンドリックスがセアラの素行を調べるために、パーキスという私立探偵の息子をつれて仮病の芝居をさせ、問題の家にあがりこむ場面がありますよね。あそこで子どもがついオレンジジュースがほしくてもう一杯と頼むうち、本当に気分が悪くなって、帰り道で吐いてしまったりする。こういうところが舌を巻くほど巧いですね。
グリーンが一人称で書いているときは、アフォリズム風の文章が目立つんですけれども、そういうところがいいなと思ったりしたんです、若い頃はとくに。‘Two Gentle People’という短篇の中で、あるとき中年の男女がちょっとしたきっかけで出会って、食事でも、ということになる。そのレストランでの会話で、男がもののはずみで相手のことをvousではなくtuと呼んでしまう。男はそう呼んだことに気づかれないだろうかと心配するんですが、女のほうはtuと呼ばれたことをしっかり記憶にとどめている。しかし二人は、一緒に食事をしただけで、それ以上なにもせずに、うるさい奥さんやホモの亭主がいるそれぞれの家に帰ることになります。そこで「若いころだと臆病と言われることが歳を取れば処世術になるが、それでも処世術などくそくらえと思うこともある」ということが書いてあって、やはりグリーンはうまいなあと感心しました。
(97年8月22日)